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袴田事件弁護団ホームページ

袴田事件弁護団ホームページ[袴田事件.com]にようこそ。
現在継続中の再審請求審について考察したい方に、最新にして詳細な情報を提供するために開設されたのがこのサイトです。
事件発生から半世紀、未だに決着が着かず、冤罪被害者の神田巌さんはもう83歳。支えるひで子さんとて86歳。
この星霜がやむを得ない流れであるならばまだしも、いたずらに引き伸ばされてきたと言う外ありません。
私たちは、一日も早く再審無罪を勝ち取るべく法廷闘争に臨んでいます。
一人でも多くの国民に、否、世界の人々に、事件とその裁判の実態を、その真実を知っていただきたい。
そして私たちを応援してくださるよう期待するものです。

最高裁での闘いに当たって

袴田事件再審弁護団長 西嶋 勝彦袴田事件再審弁護団長 西嶋 勝彦

袴田事件の裁判は、”無罪判決”が出発点

もともと袴田事件は、再審まで進むまでもなく、通常審で無罪になっているべきだという思いが強くあります。事実、1968年、第一審の静岡地裁で当時の熊本典道主任裁判官は、いったんは無罪判決の下書きをしたためていたのは有名な話です。
証拠は「5点の衣類」と、かつ、それを支える自白しかありません。「5点の衣類」という重要な証拠が出たにもかかわらず、熊本裁判官は無罪の心証を持っていました。このことは非常に大きい意味があり、袴田事件の真実を如実に物語っています。
もっと言えば、「5点の衣類」を除けば取るに足らない証拠ばかり、袴田さんと事件を結びつける証拠になり得ないものばかりです。「5点の衣類」は、発見の時期も内容もおかしいということを熊本さんは、既に一審の段階で見抜いていたのです。再審で問題とされているDNA型鑑定とか、味噌漬け実験だとかを持ち出すまでもなく、「5点の衣類」を捏造された証拠だとして排除さえすれば袴田さんの無実は明白になるのです。
ただ「権力は悪いことはしない」という思いに凝り固まっている裁判官に、どうわかってもらうか。そこが難しく、熊本氏以外の裁判官は、熊本氏の鋭い見解になかなか同意しなかったのだと思います。

裁判官には、えん罪被害者を救済しようという考えが元々ない

検察官は間違って起訴はしないだろう、という考えを、多くの裁判官は抱いています。
たとえば袴田事件の第一次再審で静岡地裁の裁判官は、事実調べを全くしなかったし、検察官に証拠開示の勧告もしなかったのです。ただひたすら確定判決をなぞるだけで、「間違いはない」「もっと確実な新証拠がなければダメだ」という。そんなものは世の中にあるわけがありません。冤罪者を救済しようという考えがもともとない。そういう裁判官が大半じゃないでしょうか。
元裁判官でいま弁護士をされている木谷明さんは、よくこうぼやいています。
「検察官が出してきた証拠をよく検討すれば、裁判官は簡単に有罪判決を書けないはずなのに、本当にみんな簡単に書くんだよな」
裁判官は、人権感覚が優れていることが採用の基準ではなく、官僚として使えるかどうかが重要視される。だから、とんでもない裁判官が出てくると思っています。
検察官もそうですが、途中で誤りに気がついても、改めようとはしません。
大阪地検特捜部が厚労省の村木厚子さんの事件で失敗した際、有識者を集め検察のあり方検討会を立ち上げて、
「検察官は有罪を求めるばかりでなく、引き下がるべきときは引き下がる」
という趣旨のことを言いました。ところが、立派なことを言いながら中身はそうなっていない。取調べの一部の録音・録画、司法取引を導入することでごまかされてしまいました。弁護士会も、可視化すれば冤罪が防げるのではないかと不完全な認識のもとで法制審の議論に同調してしまったのです。

裁判の公開

再審請求審を公開したことがあります。以前、日産サニー事件で手続きを公開した。ただ、司法内部で非常に不興を買いました。そして、検事の不服申し立てを認めた。けしからんことです。それにしても、手続きを公開した一審への反発から、再審開始決定が取り消されたのは許せません。
袴田事件の第二次再審請求審の即時抗告審が、もし公開されマスコミや一般の人が傍聴していたら、あんな決定は出せなかったはずです。いかにも期待を持たせるようにし、最後にどんでん返し。裁判官は内心を隠しつつ、期日を重ねていたというのが実態です。
再審について、検察官の開始決定に対する抗告は許さないことと、どういう審理を裁判所はするべきかという手続き規定だけは設けてもらわないといけません。そうでないと、やりたい放題ができてしまう。監視がないと何事も正しくは進みません。その意味では再審請求審の公開は大事です。
だいたい再審請求審は冤罪者のための手続き。検察官が補充捜査をしたり新しい証拠を作ったりするなどはけしからんことです。それを裁判所が許すことはあってはならない。
有罪判決の時代には用意できなかった鑑定や科学的な証拠を準備するしかありません。しかも今みたいに、科警研が全国の警察の科捜研の親玉のような立場にあって、法医学界に睨みをきかせている。もし睨まれると科警研の仕事ができなくなってしまいます。科警研のような組織は捜査機関とは別に作ればいいわけで、科警研は解体するべきです。

検察官が裁判官の部屋に阿吽の呼吸で……

刑事訴訟法上は、検察官が警察を指揮することになっています。これは有言無実で、警察が捜査してきたものを突っ返したら、検察官は警察に協力してもらえなくなり仕事ができなくなります。だから、警察の批判はできない。
同じように、検察官と裁判官の間で暗黙の意思疎通のようなものがあって、「無実の者は起訴していないだろう」というような先入観の下に判断をしている面があります。ですから、無罪判決を書いたことがない裁判官がたくさんいるじゃないですか。無罪判決を書くには、上級審に行って破られないような説得力のある判決を書かなければならない。それは大変な労力を必要とします。ですから、起訴状どおりの認定をすれば、頭を悩ますことはないわけです。
実際問題として、公判が終わると裁判官と検事がお茶を飲むようなことがあります。法廷以外のそうした場で、「あの事件どうかね」などとやり取りをするんです。検察官は裁判官から、
「このままの訴因ではいけない」
「証拠が足りない」
などと、阿吽の呼吸で示唆されることがあります。それは、検事を自由に出入りさせる裁判所が悪い。もちろん、それを嫌う清廉潔白な裁判官もいますが。

高裁の棄却決定の問題点

即時抗告審で高裁は、検察側に証拠の開示勧告をしましたが、なぜかその裁判記録が残っていない。だから検事は「勧告を受けたことはない」と開き直り、新しい証拠が出てこない。そうなると、再審請求人を防衛する手段が非常に限定的になってしまいます。
また、DNA型鑑定の検証実験で、検察側の鑑定人の結果が出るまで実質上2年ほど要しています。途中で進捗状況の報告や、手順についてのカンファレンスを促すなどしましたが、それに耳を貸さず自分のやり方に固執していました。裁判所が期待するような結果がなかなか出ず、何度もやり直していたのではないでしょうか。いたずらに時間ばかりかかった責任は重いですね。
あれは本田鑑定をなんとか潰そうと検察側申請の鑑定人を採用したところから、間違いが始まったのです。その鑑定を待つ間に、弁護団は証人調べ等を要求したけれど、高裁は待つだけで何もしませんでした。本田鑑定の司法批判的なものが出れば乗っかろうと思ったのだろうけど、案に相違して期待する鑑定結果ではなかった。だから、他のいろんなところでいちゃもんをつける形の決定になっています。
裁判官は再審に対して、どうして頑なになるのか。それは、もし原判決を覆せば同僚を裁くことになるからでしょう。2018年の高裁棄却決定は、静岡地裁の開始決定を覆しましたが、原判決が間違っていなかったと言いたいのでしょう。
即時抗告審の高裁決定は、捜査官と同じレベルで弁護側も立証すべきだといいます。証拠が疑わしいとなれば、疑わしい所以を立証し尽くさなければいけないというのです。これは、「再審段階でも疑わしきは被告人の利益に」という白鳥決定の趣旨を理解していません。この鉄則に照らせば、「疑わしい」ものは「疑わしい」と弁護側は主張するだけでいい、という精神がわかっていません。弁護側は厳密な立証までする必要はないのです。
裁判官はひとたび採用されると、事実認定などの研修はあまりやりません。私たちも経験があるけれども、司法研修所では、少ない証拠でどうやって有罪にするかという教育でしたからね。無罪判決なんか書いたら、それこそ赤点になる。そういう研修にも問題があります。

最高裁での闘い

継続審でもそうですが、再審請求審の最高裁への上告理由は憲法違反か判例違反で、冤罪であることはあたらない。ですが、これほど酷い冤罪事件であることを最高裁の裁判官が見破れば、つまり事実誤認が明らかになれば上告理由にあたらなくても職権判断ができます。現に、松川事件や八海事件、二保事件など、これまでの多くの冤罪は最高裁の段階で救われています。
とはいえ、最高裁では一層厳しい戦いが強いられます。でも、高裁決定があまりにも酷いということを私たち弁護団が暴いていけば、道は必ず開けてくると思います。ですから、次々に主張と証拠を出していく方針です。
最近、再審請求が認められるケースが続いています。これは、捜査があまりにも杜撰で酷い事件であること、また、的確な新証拠が用意され、裁判官が判断を迫られている、ということでしょう。社会的な関心が強いことも大きいと思います。
袴田さんは高裁で開始決定が取り消されましたが、高裁は再収監の決定は出せなかった。これなどいい典型です。屁理屈はこねたけど、「身柄を拘置所に戻す」ということはさすがに躊躇しました。
弁護団は今後も、次々と補充書を最高裁へ出していきます。袴田さんの右腕の傷や、高裁段階で初めて出てきた取調べ録音テープなどの新証拠について、こちらの主張を提出します。また、5点の衣類の色の問題は、写真のフィルムが劣化したためだなどと、戯れ言を高裁が言っています。これに対しても反論するなど、論点はいくつもありそれを積み重ねていきます。

袴田事件を教訓に、刑事司法改革の方向性

第一は、人質司法からの脱却です。先の法制審特別部会で裁判所委員らは、「勾留・保釈は適切に運用されている」と述べたということです。確たる証拠のない袴田さんの自白を引き出すための逮捕・勾留であった一事をとっても、その欺瞞は明らかです。
第二に、全事件の取調べの録音・録画と弁護人の立会いが上げられます。この両者は先進国では一体のものです。弁護人の立会いは取調べに不可欠であり、切り離された議論はそれ自体が問題だった、とあえて私は言います。最高検が通達を出し、検察独自捜査の事件でも可視化する運用となるようですが、法的に検察、警察ともに導入されるのは、全事件の3%以下の裁判員裁判事件だけで、しかも本人が逮捕された後だけ。本人の任意取調べはもとより、参考人の取調べは除外されます。それだけではなく、制度上認められている録音・録画も暴力団事件は一律に除外するほか、取調官の判断によって大幅な例外が認められています。
袴田さんの経験に照らせば、取調べの全過程が録音・録画されていれば、人質司法の実態と拷問的取調べをもっとはっきり証明できていたはずです。参考人のウソの供述により被告とされた村木厚子さんの事件の教訓が、十分に生かされていません。全事件を対象とすることを目指して、具体的な拡大のプロセスを追及すべきです。
三点目は、代用監獄の廃止です。過酷かつ起訴後も続く長期の取調べを許す体制を担保しているのが代用監獄です。袴田さんの取調べが身をもって示しているばかりか、その廃止は国際機関がくり返し勧告しています。廃止は、日弁連創立以来の悲願ですが、法制審では遡上にすら上らなかったのです。
第四は、全面証拠開示です。再審となっても、なお、証拠を隠し続ける検察官の態度は、立派な証拠の隠匿であり、犯罪ですらあります。袴田さんを苦しめてきたこの証拠隠しは、全再審事件において即刻改められねばなりません。検察官に手持ち証拠のリストを開示させることになりましたが、それでもまだ弁護実践には不十分というべきです。

検事による上訴も大きな問題

その検事上訴の禁止が5点目です。検察官に、再審開始決定に対する即時抗告を許す現行の手続きは、無辜を救済する再審制度を台無しにしています。検察官は再審公判で争えばいいのです。袴田さんは開始決定の確定をいたずらに延ばされ、再審公判への速やかな移行が阻まれています。無罪判決に対する検事上訴の禁止とともに、再審開始決定への検事の即時抗告禁止は、日弁連が再審法改正の柱の一つとして求め続けてきました。
再審開始決定への検事の抗告は、人権上、無罪判決への上訴以上に許しがたく、早急な改正が求められます。
第六は、えん罪原因の究明です。袴田さんを48年間も死刑台の恐怖にさらしてきた冤罪原因の究明は、断固そして速やかに実現されなければなりません。静岡地裁の再審開始決定(2014年)が「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けてきたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難い」と明快に断じたような事態が、誰により、どうして生じたのか。同じ過ちをくり返さないためにも、第三者機関によるその原因究明は必要です。
捜査機関はもとより、裁判所も究明の対象となるのは当然です。冤罪原因の究明に聖域はありません。日弁連もその第三者機関が国会に設置されることを追求してきたことであり、躊躇することなく具体的な一歩を踏み出すべきです。
そして最後の7点目は、死刑の廃止です。袴田さんは冤罪死刑囚として5人目となります(一旦開始決定をつかんだ名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんを加えると6人です)。新法務大臣は2014年9月26日、日本外国特派員協会の会見で、
「最近、死刑囚で再審無罪になった者はいない、袴田事件は再審請求が認められたにすぎない」
と語ったそうです。驚くべき事実誤認です。
誤判を免れない死刑は、絶対に廃止すべきです。まず、死刑の執行停止を実現し、制度としての廃止議論を進めてもいいでしょう。フランスの例が示すように、死刑廃止は世論調査や多数決で決める問題ではありません。文明と人権の問題です。
精神を病む状態にまで袴田さんを追い込んだ死刑の存続を、まだ叫ぶ人がいるのでしょうか。結論は既に出ているように思われますが、まずもって国民的議論が進められることを期待します。