最高裁が注目した味噌漬け実験とは

1)裁判所が袴田さんを犯人と決めつけた5点の衣類は、事件から1年2ヶ月後の1967年8月31日に、犯行現場近くの被害者経営味噌工場の1号タンク(縦・横・深さ各2mのコンクリート製)の底部から麻袋に入った状態で「発見」されました。

2)事件当時(1966年6月30日)の1号タンクには、前年醸造した味噌(残存味噌)が80~120キログラムが残っていました。
事件後の1966年7月20日から、二回に分けて1号タンクに味噌の材料が仕込まれました。このときには、残存味噌を取り除かず、その上に新しい材料を仕込みました。そして翌年の1967年8月から製品として出荷が始まりました。出荷作業中の工場従業員が5点の衣類を「発見」したのです。

3)工場従業員は、5点の衣類が「発見」されたときに赤い血が付いていてひと目で事件の物だと分かったとか、緑色のパンツが入っていて、緑色のパンツは袴田さんしかはいていなかった、と証言しています。

4)しかし、警察が撮影したカラー写真から、私たちは、
・1年2ヶ月も味噌に漬かった割には、衣類は布地の色を残していること
・同様に、血液も赤みが残り濃淡のムラがわかること
から、実際には5点の衣類は1年2ヶ月も味噌に漬かっていたものではなく、「発見」される直前に1号タンクに入れられたものではないかとの疑いを持ちました。

5)このことは重要な意味をもちます。
袴田さんは、1966年8月18日に逮捕され、それ以降は拘束されていました。袴田さんが5点の衣類を1号タンクに入れたのであれば、仕込みが始まる1966年7月20日までにタンク底部にある残存味噌の中に5点の衣類を埋めて隠さなくてはなりません。5点の衣類が「発見」される直前に1号タンクに入れられたものであれば、それを入れたのは袴田さんではありません。何者かが、おそらくは袴田さんを犯人に仕立て上げるために、入れたとしか考えられません。

6)そこで、私達は、実際に衣類を味噌に漬けてみることにしました。
支援者が中心になって、2000年頃から様々な方法で味噌漬け実験を行い、味噌の知識を得て、実験の経験をつみました。そして、第二次再審請求で証拠として提出したのが味噌漬け実験報告書です。

7)味噌漬け実験は、3通りの方法で行っています。
・衣類をみそに短時間漬けました。何者か発見直前に工作したことを想定した実験です。その結果、ごく短時間で5点の衣類によく似た外見の衣類が作成可能なことがわかりました。
・市販の味噌に衣類を入れ、1年2か月漬けました。確定判決等の認定を想定した実験です。その結果、衣類は味噌の色に近づいて布地の色は残らず、血液は黒くなって赤みを残しておらず、5点の衣類とはまったく異なる外見になることがわかりました。
・味噌を事件当時の原料割合に従って新たに原料から仕込み、1年間熟成させ、その中に半年間衣類を漬け込みました。原料の違いにより味噌の色が異なる可能性があるため、可能な限り当時の1号タンクの味噌に近い味噌を準備した実験です。その結果、やはり5点の衣類とはまったく異なる外見になることがわかりました。

8)これまでの実験の結果から、5点の衣類は実際に1年2ヶ月も味噌に漬かっていたものではなく、「発見」される直前に1号タンクに入れられたものであることが明らかになりました。

詳しい内容は、3通の味噌漬け実験報告書をご覧ください。