10/27(金)第1回再審公判 開催される

3月13日、東京高検が再審開始を決定。3月20日に東京高検が最高裁への特別抗告(不服申し立て)を断念。

そして、10月27日、袴田巖さんの無罪に向けての再審公判が静岡地方裁判所で始まった。

第1回再審公判       2023年10月27日

出席者

裁判官3名  裁判長:國井恒志 裁判官:益子元暢  裁判官:谷田部峻

検察官3名  丸山秀和  島本元気  岡本麻梨奈

弁護人17名  西嶋勝彦 小川秀世 小澤優一 福地明人 田中薫 笹森学 村崎修 水野智幸

伊豆田悦義 角替清美 間光洋 戸舘圭之  加藤英典 伊藤修一

佐野雅則 西澤美和子 白山聖浩

被告代理人  袴田ひで子

 

代理人 袴田ひで子さんの罪状認否  そのまま掲載

「1966年11月15日、静岡地裁の、初公判で、弟巖は無罪を、主張致しました。それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。本日、再審裁判で、再び、私も、弟イワオに代わりまして、無罪を主張致します。長き裁判で、裁判所、並びに、弁護士、及び検察庁の皆様方には、大変お世話になりました。どうぞ、弟巖に、真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」

 

弁護人の冒頭陳述 (事件の概要)  そのまま掲載

平成20年(た)第1号 住居侵入・強盗殺人・放火再審被告事件

被告人 袴田 巖

 

冒頭陳述書

 

2023年10月27日

 

静岡地方裁判所刑事部合議係 御中

 

主任弁護人 西 嶋 勝 彦

 

1 はじめに

⑴ この裁判は、再審開始決定が確定したことによる袴田巖さんの再審公判です。しかし、本日のこの法廷には、袴田さんの姿はありません。袴田さんは、無実の罪で死刑判決を受けたことで精神を病み、この法廷に出頭することにも耐えられないことから、裁判所も出廷を強制できなかったのです。

誤った死刑判決は、袴田さんに48年間もの苛酷な拘置所生活を強いてきました。それとともに、袴田さんには、釈放されても回復しがたい重大な精神的ダメージを与えてしまったということです。

このように袴田さんのこれまでの人生を奪い,精神世界をも破壊してしまった責任は、重要な証拠を次々にねつ造し、野蛮で唾棄すべき違法捜査を繰り返した警察にあり、さらには無実を示す証拠を隠蔽し、警察と共謀して犯罪的行為を行ってきた検察にあり、それを安易に見逃してきた弁護人や裁判官にもあるはずです。そうであれば、この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度も裁かれなければならないのです。

今日、この法廷に集まり、裁判を担い、傍聴している私たちは、まずこのことを頭におかなければならないはずです。

⑵ 事件の内容について説明します。この事件は住居侵入、被害者4人の強盗殺人、放火事件とされてきました。確定判決では,深夜1時過ぎに、袴田さんがクリ小刀を持って一人で被害者宅に侵入し、4人をクリ小刀で殺害し、お金を奪って放火したというのです。

しかし、いま振り返って検証すると、この事実は、実際に発生した事件とはまったく違っています。ところが、これまでは、検察官が作り上げた犯罪に無理やり合わせた虚偽自白があったことや、再審請求審では、もっぱら議論の対象が新証拠の明白性であったために、本当はどのような事件であったのかが見逃されてきてしまったのです。

しかし、いま、ここで行われることは裁判のやり直しです。ですから、もう一度、事実と証拠を正しく評価すべきなのです。ところが、検察官は、この公判でも、これまでと同様の立証をしようとしています。しかし、残された動かぬ事実や証拠は、この事件が検察官の提示した犯罪とは全く別の犯罪であったことを示しているのです。つまり、検察官は、この事件がどのような犯罪であったかすら正しく把握できていないのです。ですから、5点の衣類がねつ造であるなどという議論を待つまでもなく、袴田さんが犯人であることの立証はできません。これをこの冒頭陳述では明らかにします。

 

2 強盗事件など存在せず、検察官の主張する犯行、犯人像はまったく事実に反していること

  • 今述べたとおり、検察官の想定している犯行、犯人像はまったく真実とは違っています。犯人は一人ではなく複数の外部の者であって、動機は強盗ではなく怨恨でした。また、犯人たちは、午前1時過ぎの深夜侵入したのではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいたのです。そして、4人を殺害して放火した後、表シャッターから逃げて行ったのです。

もちろん、検察官は自らが主張する事実について、合理的な疑いなく証明しなければなりません。これに対して弁護人は、単に、合理的な疑いを生じさせればよいのです。ですから、この冒頭陳述でも弁護人がここで主張する事実を証明しようというのではありません。検察官の主張する事実にはさまざまな疑いがあるということを示すものです。

 

  •  一人の犯行ではなく犯人は複数であったこと

被害者宅と両隣は、いずれも木造の古い建物である上、隣とはほとんど接するように建てられていました。ですから、互いに隣の家の中の物音も聞こえるような状況でした。隣から悲鳴があがれば、寝ていてもすぐにわかったはずなのです(S41.8.2杉山新司検面調書・確9分冊)。

もし犯人が1人であったとすれば、凶器は刃物ですから、4人を1人1人順に殺害していったということになります。しかも、一突きで殺された被害者はおらず、全員に多数の刃物による傷がありました。橋本藤雄さんは15箇所、扶示子さんは9箇所、雅一郎さんは10箇所、ちゑ子さんは7箇所、合計40個所以上の刃物による傷があったのです(S47.3.18上野正吉鑑定書確6分冊の2)。しかも、藤雄さんは柔道2段の屈強な男性であり、雅一郎さんも中学3年生でも177㎝の大柄でした。ですから、簡単に4人を殺害できたとは思えません。

こう考えると、犯人が一人であれば、4人の悲鳴や叫び声や逃げまどう声が飛び交い、物を投げたり物を使って反撃するような大混乱が,しかも相当の時間続いたことは間違いありません。家から外に逃げ出した人がいても何も不思議もありません。そうであれば、隣の人たちは、すぐに気が付くはずです。ところが、逃げ出した人はいなかったし、両隣の人たちは、深夜であるにもかかわらず、被害者宅からは、まったく物音が聞こえなかったというのです。

また、各被害者らの傷は、4人とも胸、右胸あるいは背中など一定範囲のところにほとんど集中しています。つまり、被害者らは刃物で傷つけられても誰も動かず逃げ回ったりしなかったということです。雅一郎さんの手首や腕の4個所の傷以外、被害者らの手足や腕には刃物による傷がまったくありません。被害者らが防御の姿勢もとっていなかったということです。

このように、被害者らは、4人とも声も上げられない状況で、もちろん逃げることも反撃することもできないような状況で殺害されたということです。したがって、犯人が4人の被害者と同数以上いたか、それとも、犯人が複数で、被害者らを動けないようにし、声も上げられないようにした状況下で、殺害行為が行われたと考えられるのです。なお、焼死体はボクサースタイルになることが知られていますから、死体の姿勢から今述べたことを否定することはできません。

これに対して、検察官は一人の犯行であるというのですから、なぜ音も立てず声も出させないで4人を刃物で殺害できたのか、合理的な疑いなく確実に証明しなければならないのです。しかし、一人では絶対に不可能です。

 

⑶ 深夜の侵入ではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいたこと

検察官は、被害者4人が寝静まった深夜1時過ぎに犯人が侵入してきたと主張しています。しかし、これも事実にまったく反することです。犯人が被害者宅に入ったとき、被害者らは全員起きていたのです。

被害者らが起きていたことは、身につけていたものからわかります。被害者の身につけていたものは焼けて大部分が不明ですが、わずかに残されたものからでも、被害者らが起きていたことがはっきりと裏付けられるのです。

雅一郎さんは、ワイシャツを着ており、しかも胸ポケットにはシャープペンシルを刺していました(S41.7.5春田龍夫実況見分調書・11分冊)。

扶示子さんも、判然とはしませんが、寝るときに着用するようなものでない衣類を着たままであり、ブラジャーも着けていました。首のところには、高校の制服の袖カバーのようなものが残っていました(S41.7.6春田龍夫実況見分調書・11分冊)。

ちゑ子さんについては、着衣は寝間着のようなものが一部残っていたとの記載はあるものの、左手に金属バンドの腕時計をつけ、左手中指には石付きの指輪をしていました(S41.7.5春田龍夫実況見分調書・11分冊)。腕時計や石付きの指輪をして寝るでしょうか。まして、午前1時過ぎに寝ていたとすれば、入浴の後と思われます。お風呂に入るときに外した腕時計と指輪を、寝る前につけることがあるでしょうか。

藤雄さんも、左手に金属バンドの腕時計をしていました(S41.7.6春田龍夫実況見分調書・11分冊)。ちゑ子さんと同様に起きていたということです。

このように、全員、殺害時に寝ていた様子などなかったのです。とすれば、午後10時10分頃、近くの祖父母とともに生活していた被害者夫婦の長女昌子さんが、5日間の旅行から帰ってきたものの家に入れてもらえなかった(S41.8.28橋本昌子検面調書12分冊)時点では、すでに犯人らは被害者宅に入り込んでいた可能性が高いのではないでしょうか。

さらに、犯人が複数犯でありながら、犯人が入ってきたときの大混乱がなかったことからすれば、犯人は、被害者らと面識のある者であり、被害者らが起きている時間帯に家に入り込んだということにならざるをえないでしょう。

事件前、被害者宅の店舗部分の土間の机の上に、電話機が置かれていました。ところが、消火後明らかになったことは、電話機は、接続端子ごとコードが引き抜かれており、通話ができなくなっていました。これは、被害者宅に入り込んだ犯人らが被害者らに外部との連絡を取らせないように、あるいは外部から被害者宅に電話がかかっても不審に思わせないようにしたものと考えられます。

今述べたことからして、検察官は、犯人が被害者宅に入ったとき、4人全員が寝ていたことに誰もが確信をもてるほどの証明ができるのでしょうか。むしろ、4人とも起きていたと考えられるのではないでしょうか。そして犯人らが6月29日の午後11時以前に被害者宅に入っていたとすれば、袴田さんのアリバイは完全に成立することになるでしょう。

 

  •  強盗ではなく、怨恨によるものであること

被害者の家の中は、物色された跡がなく、押入の布団の間には金袋の入った甚吉袋があって、少なくとも約33万円の現金や合計約14万円の小切手、印鑑等が入っており(S41.8.8春田龍夫検証調書10分冊)、その他現場には額面の合計金額が900万円を超える銀行、郵便局の多数の通帳が保管されていました(S41.8.8春田龍夫検証調書10分冊)。当時は、通帳と印鑑さえあれば、銀行、郵便局から、誰でも払い戻しが可能でした。ですから、犯人が最初から強盗目的で侵入したのであれば、これらの物に手を付けなかったはずがありません。さらに被害者宅のタンスには、多数の株券等が保管されており、指輪8個、ネックレス7本、時計3個等の貴金属類も入っていました(S41.8.8春田龍夫検証調書10分冊)。これらは、タンスの引き出しを開けて少し探すくらいで、容易に見つけられたはずです。検察官の想定では、深夜、物音をまったくたてずに全員を殺害したというのですから、犯人は、すぐに逃げる必要などなかったことになります。物色する時間は十分にあったということです。

また、強盗であれば、犯人は奪ったものを持っているはずです。奪われた現金は20万円余りなどでした。ところが、袴田さんは、事件後、そんなお金を持っていませんでした。これについての検察官の説明は、8万4000円は裏木戸の柱のところに落とした(S41.6.30黒柳三郎捜査報告書・12分冊898頁),3万4000円は線路のところで落とした(S41.6.30黒柳三郎捜査報告書・12分冊896頁),5万円は知り合いの女性に預けた,だから袴田さんはお金を持っていなかったというのです。そんな説明で袴田さんが強盗殺人の犯人であると言えるでしょうか。

以上のとおり、この事件は、強盗殺人事件とすら考えられないのです。

そうではなく、被害者4人には先に述べたとおり合計約40カ所もの刃物による傷があり、特に藤雄さんには15カ所もの傷があって、しかも大部分が浅い傷であったことからすると、藤雄さんに対する怨恨が動機となった事件であったと考えられます。

そもそも何もお金に行き詰まっていたわけでもなく、殺したいほどの恨みなどあるはずがないのに、4人が寝ている雇用主宅に強盗に入る人がいるでしょうか。袴田さんには、動機などまったくないのです。この点も、検察官は合理的な疑いなく証明できるのでしょうか。

 

  • 犯人らは、裏木戸から逃げたものではなく表シャッターから逃げて行ったこと

ア 裏木戸が閉まっていたこと

工場から被害者宅の行き来に使われていた裏木戸は、火災発生当時、かんぬきがかけられて閉まっていました。これは、火災発生後、閉まっていた裏木戸を皆が押してもビクともせず、最終的に人の頭ほどの大きさの石を投げつけたことでようやく開いたとの事実から、常識的に導かれる結論です。

これに対して、検察官は、裏木戸が閉まっていたのは、裏木戸の内側に瓦礫が堆積していたからであって、かんぬきはかかっていなかった可能性があるなどと主張しています。しかし、戸の内側に堆積した瓦礫で戸が開けにくかったとしても、かんぬきと留金がかかっていて戸がビクともしないという状態とはまったく違ったはずで、戸を押した感触だけでわかったはずです。

以上のとおり、事件当時、裏木戸には、かんぬきがかかっていたし、上の留め金もかかっていたことは明らかです。

イ ところが検察官は、裏木戸が閉まっていたか否かはたいした問題ではないかのような主張を繰り返し始めました。それは、袴田さんが犯人であれば、どこから侵入し、どこから脱出したかは問題ではないという発想です。

しかし、これは空想の世界の問題ではなく、現実の世界の問題です。どこから入ったのか、どこから出たのかすら指摘できないということは、結局、袴田さんが犯人であることが証明できていないということです。

ウ これに対して、工場とは反対側にあった表シャッターは出火時鍵が掛かっていなかったことは検証の際に確認されています(S41.8.8春田龍夫検証調書10分冊)。しかも、長女が家に入ろうとしてシャッターを開けようとしたときは、鍵がかかっていたのです(S41.8.28橋本昌子検面調書12分冊)。そうであれば、この事実だけで、犯人らは、シャッターから出て逃げたことは動かないでしょう。

 

⑹ 小括

以上のとおり、この事件が強盗殺人事件ではなく、怨恨による殺人事件であって、しかも犯人は複数であった上に、被害者ら家族が就寝する前に家の中に入り込んで4人を殺害し、放火後、みそ工場と反対方向の表シャッターから逃げていった可能性が十分に考えられるのです。とすれば、犯行や犯人らとみそ工場とはまったく関係がありません。袴田さんを含め、一人で実行できる事件ではありませんし、誰にも動機はありません。工場関係者全員にアリバイも成立するでしょう。もちろん、従業員が誘い合って強盗に入り雇用主家族を皆殺しにする理由など何もありません。

そうであれば、以上の点だけからも袴田さんが無罪であることは明らかというべきです。

 

2 真犯人を逃がしてしまったこと

そして、もう一つきわめて重要なことは、以上のような客観的な事実や証拠をもとにした捜査を、警察、検察は、まったくしなかったことです。

怨恨が動機と考えられるのであれば、藤雄さんの交友関係や女性関係を徹底的に洗い出すことによって、何らかの手がかりが入手できたはずです。ところが、そうした資料は残念ながらまったく集められていません。

また、4人を殺害したのであれば、犯人達の衣類にも多量の血がついていたでしょう。ですから、犯人達は、車で逃走したと考えられます。この点、事件当時、クラウンのライトバンが近くの一号線に停車しており、また、湾岸道路を無灯火で疾走していったライトバンがあったというのです。当時、クラウンのバンなど数多くない車種でしょう。特定することは困難ではなかったと思われます。しかし、警察は、それすらできなかったというのです。

こうして、警察、検察は、必要な捜査をまったく進めようとせず、その結果、真犯人もその手がかりも永遠に取り逃がすことになってしまったのです。

 

3 上記の犯人、犯行像と整合しない事実

  • 以上のとおり、犯人は工場関係者ではありません。ところが、検察官は、二つの事実を理由にして、この事件は工場と結びつくと主張しています。それは、雨合羽と金袋が落ちていたことです。

まず雨合羽は、事件後、被害者宅の中庭に落ちていたものです。検察官は雨合羽のポケットにクリ小刀の鞘が入っていた(S41.7.6春田龍夫実況見分調書11分冊)ことで、事件と関係があると主張しているのです。

しかし、この雨合羽は厚手のもので、着用すれば動きにくく、また、動けば音を立てることになります。まして、仮に5点の衣類が犯行着衣であれば、黒っぽい色で目立たない服装です。深夜、他人の家に侵入するときに誰もこんな雨合羽を着ることなど頭に浮かばないでしょう。ちなみに、雨合羽にはフードは付いていなかったのですから、これでは顔を隠すことすらできません。むしろ、消火活動のときに誰かが着用したか、雨の日に専務が自宅に羽織っていった可能性の方がはるかに高いでしょう。

そうすると、ポケットに入っていたクリ小刀の鞘についてはどのように考えられるのでしょうか。クリ小刀が凶器であること自体疑問ですが、百歩譲って仮に凶器であったとしても、犯人が着用したはずのない雨合羽に、自然に凶器の鞘が入るなどということはありえません。何らかの目的のために、人為的に入れられたと考える以外にありません。

入れることによって利益を得るのは警察しかありません。警察は,最初から,犯行と工場を無理に結び付けようとしていたからです。実際、警察は、そのために強引な捜査を繰り返していました。また,他に動機のある人など考えられません。そうであれば,鞘をポケットに入れたのは警察であると判断せざるをえません。

逆に、検察官は、犯人が深夜雨合羽を着て侵入したというのであれば、その理由を合理的な疑いなく説明しなければなりませんが、これはとうてい不可能です。

  • 次に二つの金袋のことです。金袋は、二つとも裏木戸の外側に落ちていました。被害者宅から工場の方により近づいたところです。だから、検察官は、これらは犯人が金袋を奪ったものの工場の方に逃げるときに落としたものだというのです。

しかし、第一に、先に述べたとおり、裏木戸は閉まっていたのですから、そもそも犯人が裏木戸近くを通るはずがありません。

第二に、被害品とされる金袋は甚吉袋と呼ばれる大袋の中に入っていた8個の内の3個です。しかし、せっかく1つの袋に8個も金袋が入っていたのにその中からわざわざ3個だけ取り出して奪ったなどということはありえないことです(S41.8.8春田龍夫検証調書10分冊等)。

第三に、仮に犯人が3つの金袋を奪ったとすれば、そのうちまず1袋を裏木戸の柱付近で落とし(S41.6.30黒柳三郎捜査報告書・12分冊898頁)、次に3mほど移動して2袋目を線路の近くで落とし(S41.6.30黒柳三郎捜査報告書・12分冊896頁)、しかも2回とも落としたことに気がつかないでそのまま放置したということになります。そんなことが現実にあるはずがありません。

第四に、発見された金袋は、写真でみても、すすのようなものがたくさん付いており(S41.7.20黒柳三郎検証調書・11分冊)、「焼けたようなあと」も見られたのです。そうであれば、明らかにこれは消火活動の後に移動したものということになります。

以上のような客観的事実からすれば、落ちていた金袋は、この事件の犯人や犯行とはまったく関係がないものであるのに、火災の後、何者かによって意図的に置かれたということです。そもそも裏木戸の外側は、消火活動の際たくさんの人が集まりあるいは出入りしたところです。それなのに、二つの金袋を見つけたのは、いずれも警察官であるということも、きわめて不自然です。

そうであれば、金袋を置いたのは警察であり、真犯人を逃がし、工場関係者に嫌疑を向けさせるためのねつ造であった可能性を考えざるをえません。

これについても、検察官は、ねつ造の可能性を完全に否定し、間違いなく犯人が落としたものであると証明しなければなりません。

 

4 パジャマの虚偽の血液型鑑定書

  •  検察官のもう一つの柱は、パジャマの血痕です。血痕は、目には見えなかったけれども、袴田さんの血液型でないA型、AB型の血液が検出されたというのです(S7.18鈴木健介鑑定書・15分冊)。

しかし、パジャマの血痕鑑定も虚偽の鑑定であることは明らかなのです。

  •  パジャマは、事件発生から4日後の7月4日、警察による工場や工場内の従業員寮の捜索の際に、袴田さんから任意提出をさせたものです。鑑定書にも書かれているとおり目に見える血痕の付着などなかった(S7.18鈴木健介鑑定書・15分冊)ため、わざわざ任意提出をさせた(S41.7.4袴田巖任意提出書・13分冊)のです。このような経過自体がきわめて不自然です。

ところが、警察は、パジャマを任意提出させた直後に、血染めであったかのような虚偽の事実をリークしたのです。ここから、袴田さん犯人説を作り上げたのです。

  •  A型、AB型の血液型が検出されたとする鈴木健介のパジャマ鑑定が虚偽であるということは、間違いありません。それは、当時の鑑定技術からすると、肉眼で見えるような血痕がなければ血液型鑑定などできなかったからです。このことは、5点の衣類が発見された直後の血液型鑑定である佐藤秀一鑑定書に、「肉眼的に血痕の付着が認められないので血液型の検査は不能と考えられる。」と書かれている(S9.20佐藤秀一鑑定書・17分冊)ことから明らかです。
  •  また、鈴木鑑定のあと、県警は、東京の科警研に鑑定を嘱託し、鑑定不能の結果が出ています。しかし、鈴木鑑定でパジャマから他人の血液型が本当に出たのであれば、再度、別の機関に鑑定嘱託をする必要などありません。嘱託先が、鑑定不能の結論を出せば、鈴木鑑定の結果に疑問が生じ、かえって害になるだけです。それよりも、本当に鈴木鑑定の結果が出ていたのであれば、直ちに袴田さんの逮捕に及ぶはずです。ところが、逮捕は1ヶ月後の8月18日でした。しかし、この一か月間、何の新しい証拠も収集できていません。逮捕の決め手としたのも、取調べの際の追及材料としたのもパジャマの鑑定でした。捜査機関は、この1ヶ月間に鑑定書の偽造を画策し、実行したと考える以外にありません。
  •  以上のとおりですから、パジャマの血液型鑑定が虚偽の鑑定であることは明らかというべきです。

 

5 その後5点の衣類のねつ造に至る経過

  •  以上のとおり、警察は、捜査の当初から証拠をねつ造し、虚偽の鑑定書を作成するなどして、袴田さんを犯人に仕立ててきたのです。そして逮捕後は、袴田さんに異常なほどの長時間の取調べ等で自白をさせ、その自白に合わせた秘密の暴露の虚偽の証拠を作ろうとしました。虚偽の裏木戸通過実験の捜査報告書及び清水郵便局で発見された、千円札に「イワオ」と名前まで書いてあった焼けた現金入り封筒です。
  •  それとともに、捜査機関は、無謀な取調べを繰り返しても、満足な自白調書を作ることができなかったため、自白調書の日付や内容を変造するなどの違法行為も行っていました。しかもあろうことか、検察官も警察官と共謀して調書の変造等を行ってきたものです。
  •  ところがこのような違法行為や証拠ねつ造を繰り返しても、自白を確実に裏付ける証拠をねつ造することはできず、捜査機関は有罪判決を得られるか大いに不安となり、結局,もっと大がかりな証拠ねつ造を行わざるをえなくなったのです。これが事件から1年2ヶ月後に、実際に使われていたみそタンクから発見された5点の衣類です。
  • その上で、捜査機関は5点の衣類の鮮明なカラー写真やズボンのサイズに関する重要な証拠を隠してしまったことで、裁判所に誤った認定をさせてしまったものです。
  •  しかし、再審請求審において、5点の衣類の血痕のDNA鑑定や生地や血痕の色によって、犯行着衣ではなくねつ造証拠であることが明らかになり、静岡地裁でも東京高裁でも、捜査機関によるねつ造証拠の可能性が高いと指摘されたのです。ところが、検察官は、裁判所にこれほどはっきりと証拠ねつ造を指摘されたにもかかわらず、いまだ5点の衣類にしがみついているのです。信じがたいことではないでしょうか。そうであれば、5点の衣類は、この事件の証拠としての価値がないばかりか、むしろ有害な証拠というべきですから、証拠から排除されなければなりません。

 

6 捜査機関の違法行為の動機

  •  以上のとおり、この事件は警察、検察の捜査機関が捜査の初めから事件の真相をゆがめてしまい、本来まったく関係のない袴田さんを有罪とする方向に向けて、次々に証拠ねつ造などを続けてきたことがわかります。もちろん、袴田さんが元プロボクサーで、犯人に仕立て上げるのに都合がよかったなどという事情もあるでしょう。しかし、先に述べたとおり、この事件では、捜査の初めから真相の解明も、真犯人に結びつく方向の捜査もまったく行われていません。これは何を意味するのでしょうか。
  •  警察が、捜査機関であれば当然なすべきことをしなかったということは、真相を明らかにすることを意図的に避けたということです。そして、真相解明を避けた理由は、残念ながら警察官の一部、しかも捜査の中枢にいた人物らが真犯人を知っており、彼らを隠そうとしたということくらいしか考えられないのです。

 

7 結論

  •  以上のとおり、検察官の作り上げた構図においては、真実の事件とはまったく異なる事実にされてしまったのです。ですから、繰り返し述べてきたように、それだけで袴田さんは無罪であることが明らかなのです。つまり、検察官が主張している犯罪事実のうちここで述べたような疑問が生じたとすれば、袴田さんが犯人であるとは言えないのです。
  •  ただし、この事件の中心証拠は、5点の衣類です。5点の衣類については、後にまとめて主張することにします。しかし、検察官は、この裁判で、新たな証拠によって長期間みそ漬けになっていても血痕に赤みが残る可能性があると主張、立証しようとされていますがが、そんな主張、立証などまったく意味がありません。

5点の衣類の血痕に赤みが残っていることは、最高裁が指摘したとおりです。そして東京高裁は、長期間みそ漬けになれば、血痕に赤みが残らないと認定しました。検察官は、この認定が間違っているというのです。

しかし、検察官は、可能性があるというだけでは足りず、5点の衣類に赤みが残っていたのは、発見直前にみそタンクに入れられた場合ではなく長期間つかっていた場合であることを確実に証明しなければならないのです。ところが、検察官は、肝心のこの点を立証することはできないのです。

ですから、検察官の立証は何の意味もありません。

  •  以上述べてきたことから理解していただけるとおり、検察官はもう一度事件全体を虚心で振り返るべきなのです。そうすれば、袴田さんの有罪立証など不可能であるし、そんなことをすべきでないことは十分理解されるはずです。同時に、警察や検察の先輩たちがあまりに愚かなことをしてきたことも理解されると思います。しかし、それはいまの検察官の責任ではありません。いまの検察官がやるべきことは、この事件での有罪立証を放棄すべることです。

検察官は、いまからでも遅くありません。有罪立証を直ちに放棄し、速やかに無実の袴田さんを無罪にし、本当の意味での自由な生活に戻させることに力を尽くすべきです。これが公益の代表者とされている検察官の職責であるはずです。

無実の袴田さんを一日でも早く無罪にすること。これはこの裁判の目的であり、誰もが求めていることであると確信します。袴田さんは無罪です。

以上で弁護人の冒頭陳述を終わります。