2月14日、第8回再審公判開かれる

2月14日、第8回再審公判 弁護団陳述

強要した自白に基づく証拠の捏造~侵入経路と被害金~

 

1. はじめに

弁護人は、5点の衣類が、捜査機関による捏造証拠であると主張しています。それだけではなく、これまでの公判において、警察官が事件発生後間もない時から、「内部犯人の犯行」との予断のもと、袴田さんを犯人にするために、外部犯人を示す多数の証拠や事実を無視し、隠してきたことを主張・立証してきました。

前回の裁判で、弁護人は袴田さんに対して行われた人権を無視した拷問ともいうべき取調べ状況、警察官らの裁判における偽証を明らかにしました。ここでは、そのような取調べの結果、袴田さんから得た自白を使うために、捜査機関が次の3つの証拠の捏造を行ったことを示します。

① 被害者宅への侵入経路

② 裏木戸からの脱出・再侵入

③ 被害品について

ここで留意していただきたいのが、静岡県警が総力を挙げて自白獲得をし、その結果、自白に基づく証拠の作出へとエスカレートしている点です。すなわち、警察官は、事件直後から、被害者宅にあったはずの包丁や、被害者宅の電話機が引っ張ってむしり取られていた事実について捜査を尽くさず、パジャマに血痕が付着していたとの鑑定を無理やり出したり、袴田さんのアリバイに関する従業員らの供述を変遷さるなどの行為を繰り返してきました。そして、自白が得られると、今度は、自ら証拠を作り出し、そしてそれに基づいて本件と関係のない第三者を二度も逮捕するなどしているのです。

5点の衣類の捏造は、事件から1年以上たって突然行われたものではありません。事件直後からはじまった捏造が、徐々にエスカレートした、一連の流れの集大成として行われたのです。

 

2. 被害者宅への侵入経路

本件は、住居侵入・強盗殺人・放火事件です。そのため、被害者宅にどこから侵入したのかその侵入口・侵入方法の明確化は、脱出口以前に必要であり、かつ重要です。警察は、袴田さんの自白を得た後、「侵入手段の実験について」、という実況見分調書や捜査報告書を作成し、袴田さんの自白通りの侵入が可能だったという証拠を作りました。

しかし、袴田さんの自白で乗り越えたとされた隣家との防護柵は鉄道の枕木を利用したもので4本の有刺鉄線が張られ、高さは1・55メートルありました。柵の前に踏み台が無ければとても乗り越えられないものです。警察官は、実況見分で被害者宅の内側においてあったものを踏み台にして内側からこの柵を乗り越えた写真を撮り、この写真を外から侵入した際の写真であるとしています。図面と写真を示します。

また、袴田さんが土蔵の屋根を伝わり中庭に下りた際に使ったとされる水道管は、土蔵のひさしの垂木に針金でとめられているだけの、非常に細くもろいもので、人 が乗ればすぐに倒れてしまうようなものでした。そのため、実際には一人では降りることが出来ませんでした。他の人が手で水道管を押さえなければなりませんでした。

これ等の実験では、何の問題もなく自白通りの侵入が可能だったような写真が撮影され、また記載されていますが、それらはいずれも虚偽の内容だったのです。

深夜、このような経路・方法で実際に被害者宅に侵入することは極めて危険で、困難であることは、もはや改めて言うまでもありません。まして、袴田さんがこのような方法で侵入したことを示す痕跡はどこにも全くありませんでした。

 

3. 裏木戸からの脱出・再侵入・再脱出

確定判決では袴田さんが、脱出口とされる裏木戸を一旦出て、油をポリ樽に入れて運びそこか再侵入して、更にそこから再脱出しているということになっているので、裏木戸は脱出口、再侵入口・再脱出口でもあります。裏木戸が閉まっていたことは既にこれまでに関係者の供述で明らかになっていました。警察官でさえこれを認めていました。そもそも、表出入口に鍵がかかっておらず、出入り可能だったので犯人はそこから出入りしたと考えるのが自然です。

警察官は、裏木戸が閉まっていたという避けられない事実と、袴田さんの自白との整合性を何とか図ろうと、裏木戸の上の留め金だけはかかっていたが、閂と下の留め金だけを外してそこから袴田さんが出入りしたことにしていました。そして、その裏付けとして、上の留め金がかかっていても脱出は可能だったという捜査報告書を作成しました。

しかし、実際にはこの報告書は、上の留め金を外して行われたものでした。なぜなら、上の留め金をしたまま人が出入りしようとすれば、上の留め金は外れてしまうからです。警察が作った報告書の写真は、実際には開いている上の留め金が写らないように撮影していることが、明らかです。

そして、弁護団が改めて行った、裏木戸を再現しての実験でも、この北條捜査報告書は虚偽であったことが明らになりました。警察は、この様に、裏木戸からの脱出・油を運び入れる再侵入・放火した後の脱出等、全く不可能なことであるにもかかわらず、袴田さんを有罪とするため、虚偽の捜査報告書を作成しているのです。なお、検察官は、何人かの目撃証人が、「裏木戸の扉の隙間から火が見えた」と供述している点をもって、裏木戸が開いていたかのような主張をしています。

しかし、裏木戸の上の部分の一部には、トタンを止めてあった釘が抜かれ、わざと「隙間」が作られていました。弁護人は、この隙間を中から外を見るために被害者らが利用していた可能性もあると考えています。いずれにしても、検察官が主張するのは、このトタンがはがされている部分から見えた隙間にすぎず、扉が開いていたことにはなりません。

裏木戸の実物を見ると、扉と密着する柱や、観音開きの扉がお互いに密着している部分において、全く燃焼していないか、他の所と比べて燃焼の程度が低いことが分かります。弁護人は、これまで示してきた供述のみだけではなく、裏木戸が完全にしまっていたことを、この様な物理的証拠からも示します。

 

4    「被害金」の捏造

弁護人は、本件は、強盗事件ではなく、怨恨による殺人事件だと考えています。検察官は、夜具入れの中にしまわれていた甚吉袋の中の8個の金袋の中から、3個の金袋が奪われ、その内の2個は途中で落としたものであるとしています。金を奪う目的で侵入したのにわざわざ金袋 3 個だけを奪い、さらに2個を落とし、そのほか現金・貴金属類などには全く手も付けていないということはいかにも不自然です。この不自然さについては、既に何度も繰り返し示してきました。

弁護人は、そもそも金袋3個のうちの1個だけが不明だなどという話は、警察の作り話か、もしくは、火事場泥棒の可能性もあると考えます。次に、このことを3つの観点から主張・立証します。

 

郵便局で発見された焼けた紙幣入封筒は、警察がねつ造したもの

袴田さんは、事件直後から逮捕されるまで50日間、行動を見張られ、尾行をされていたことは既に明らかにしました。警察は、袴田さんがお金を使っていないことから、それをどこかに隠しているか、誰かに預けたのではないかと想定しました。袴田さんは、自白に追い込まれ、犯行を認めたものの、奪った金の行方について追及され答えに窮し、井戸に捨てた、使ってしまった、裏口においてきた等々と答えていました。

これに対し警察は、井戸に捨てるわけがない、使ったところがない、隠したのではないか、奪った金は8万円ぐらいだ、裏木戸のところは違うなどといずれも事実と合わないとして退けました。そして、警察は奪った現金は8万円余であり、一旦温醸室の仕込み樽の下に隠しその後取り出して3万円を使い5万円を松下さんに預けたとの想定に基づいた供述を引き出し、その旨の自白調書を作成しました。松下さんの名前を3人の警察官が出していることは、前回の公判において録音テープで明らかにしました。

袴田さんは、そもそも奪ったとされる現金がいくらかも知らず、預けた金額についても3万円と言っているのに対し警察官の方が、使った金が3万円で、預けた金は5万円であることを迫っている様子が明らかになりました。そして、袴田さんの自白が作られた数日後、昭和41年9月13日に、清水郵便局で焼けた紙幣5万700円などが入った清水警察署宛の封筒が出てきました。 封筒には鉛筆書きで「シミヅケイサツショ」とあり、宛名の住所の記載はなく、切手も貼付されておらず、差出人の名前もありませんでした。

封筒の中には「ミソコオバノボクノカバンノナカニアッタ」と片仮名で書かれた便箋と、全て番号部分が焼かれた札が入っていました。

しかも、千円札2枚には鉛筆で「イワオ」と書かれていたとあります。出どころが分からないように、わざわざ番号を焼いて、それなのにお札に名前を書く。なんという不自然な証拠でしょう。

この封筒について警察官松本久次郎は、郵政監察官が杉山益己さんなど15名の集配人及び郵便物を取りそろえた担当職員を個別に事情聴取した結果、誰が取り扱ったか分からなかったとの報告書を作っています。ところが、ここで聴取をされたことになっている、当時郵便局で仕分け作業を担当していた杉山益己さんは、再審請求審において、郵政監察官による聴取をされたことはなく、また郵便局内で焼けた紙幣入り封筒の話を聞いたことはなかったことを明らかにしています。

そこで弁護人は検察官に対し、担当職員を聴取したという郵政監察官の聴取結果を示す報告書等を開示するよう求めましたが(平成21年6月2日付証拠開示命令申立書)、検察官は「存在しない」と回答しました。以上の事実から弁護人は、上記松本久次郎作成の捜査報告書は、捏造証拠の可能性が高く、少なくとも証拠による裏付けを欠いた極めて信用性の乏しい証拠であると考えます。

なお、ここでもう1つ指摘したいことがあります。

警察は、昭和 41 年 8 月 1 日、盗まれたとされる金袋を集金した従業員池ヶ谷寛 さんは、供述調書には、金袋の中のお札の種類についての供述はありませんでした。ところが、なぜか、清水郵便局で焼けた紙幣入り封筒が発見される直前の9月9日になって、警察は、池ヶ谷寛さんの供述調書を再度作成し、そこでは、金袋の中にあったというお札の種類について供述させています。そして、そこで供述させたお札の種類は、清水郵便局で発見のお札と符合していたのです。なんという、都合の良い展開でしょうか。

松下さんに対する違法捜査

焼けたお札が入った封筒が発見されたのは9月13日の午後2時40分頃ですが、警察は翌日の9月14日早朝には、松下さんが投函したものとして、松下さんの実家及び松下さんの婚約者山崎武方の二か所に対する捜索差押を行いました。警察は、事件当初より袴田さんと松下さんの関係を疑い7月20日には松下さんの自宅に赴き取調べを行いました。そして袴田さんを逮捕した直後の8月22日にも松下さん方を「被害金品、凶器、包装紙、預金通帳等々」と共犯者と想定しての捜索をしています。

そこでは何も差し押さえるべきものはなかったのに、清水郵便局でお札が見つか った直後に今度は松下さんだけではなく、婚約者の自宅まで家宅捜索を行いました。そして、あろうことか、捜索差押と同じ日に、松下さんを別件の脅迫罪で逮捕しました。松下さんがこがね味噌に勤務していたのは、2か月程であり、事件前には退社していました。そして、7月17日には山崎氏と見合いをして一緒に生活していたもので、袴田さんとは特別な関係にはありませんでした。にもかかわらず、警察は、松下さんに対する執拗な追及を行い、7月20日には自宅で警察官住吉親が、9月7日には桜橋巡査派出所に呼び出し、森下哲雄が取り調べをしています。

さらに、なぜか、お札が見つかる前日の9月12日には松下さんの母たくさん、妹よね子さん、兄義男さんまでも取り調べをしています。まるで、お札が発見されることが予め分かっているかのようなです。そして、9月14日に別件で松下さんを逮捕した後は、警察は、袴田さんから現金を預かったことを認めるように、文字通り連日執拗に迫りました。それでも、松下さんは袴田さんからお金を預かったと認めなかったため、警察は、 9月23日には、改めて松下さんを今度は贓物寄蔵罪で逮捕したのです。

この贓物寄贈罪については勾留が却下されましたが、この間の執拗な取り調べに おいても、松下さんは袴田さんから現金を預かったことなど一切認めませんでした。また松下さんは、公判においても、袴田さんから現金を預かったことはないことをはっきり証言しています。勿論、袴田さんが松下さんにお金を預けた事実などはないのです。

この裁判で、検察官は、袴田さんが松下さんにお金を預けたとは主張しない、と明言していますが、今述べたような経緯からすれば「主張しない」、のではなく、「主張できない」のです。なぜなら、現在の常識的判断から言えば、郵便局で発見されたお金は、警察官が作り出した捏造証拠としか、判断できないからです。

黒皮財布の怪

更に、被害金関係ではもう一つ不審な事実があります。それが、事件から程ない7月19日富士市吉原駅前の停車中のバスの中で、乗客渡辺馨さんが発見した黒皮財布です。この黒皮財布には、現金8万3920円、あて名が記載されていないこがね味噌の火事見舞いの礼状はがき1枚、そして、ライターの石3個が入っていました。盗まれたとされる金袋に入っていた現金は、8万2325円でした。黒皮財布の中身の8万3000円というのは非常に似た金額です。

更に、宛名のない火事見舞いのはがきが入っていた点で、この財布はこがね味噌の関係者が持っていたことを思わせます。そして、渡辺さんは財布を警察に届けたのですが、当時とすれば8万円以上も入った大金の財布を誰も取りに来なかったというのです。

7月19日といえば、警察が袴田さんを犯人と決めつけ1日中尾行していた頃です。その中で、袴田さんは吉原に近づいてもいないので、警察としてもこれが袴田さんのものだとは到底言えませんでした。その為、警察はこの事実を隠していました。確定第1審では、この黒皮財布に関する証拠は、一切出されていませんでした。

そして、事件から5年近くも経過した控訴審になって、弁護人が黒皮財布を扱った拾得物関係者を証人申請すると、検察官は、その時になって戸叶(とかの)義雄検察官が作成した報告書を提出しました。この黒皮財布を拾った渡邉さんは、再審請求審になって、当時の様子を弁護人に話しています。渡辺さんは、財布の中にあった現金とは、金額が同じ別のお金を渡されたと話しています。しかし、戸叶報告書では、現金も含めて財布をそのまま渡辺氏に渡したと書かれており、重要な点で虚偽が書かれています。検察官は、なぜ、この様な嘘をついたのでしょうか? 黒皮財布のお金は一体どこに行ったのでしょうか。これもまた、不可解な出来事です。

以上のように被害金品にかかわる証拠もまた捏造されたものであることは明かです。袴田さんは金袋を奪ったことはなく、逮捕されるまでの間、収入以上のお金を費消した事実も、隠匿したことも、他人に預けた事実も全くありません。警察は、袴田さんの犯行であるとの想定のもと、自白をさせ、自白に沿う証拠を作出することに奔走したことは否定できない事実です。

以上のような一連の行為の集大成が5点の捏造なのです。

以上