1.事件の概要
袴田事件は、昭和41年6月30日深夜、旧清水市(現在の静岡市清水区)で発生した、強盗殺人・放火事件である。被害者は、味噌製造会社の専務一家4人。致命傷となる傷はほとんどなかったが、被害者は合計40数カ所を刃物で刺され、ガソリン臭のする油をかけられて放火された。
袴田さんは、当時、現場とは東海道線を挟んだ位置にあった味噌会社の工場で働き、その2階の寮に住んでいた。
袴田さんは、事件直後、指などに怪我をしていたこと、アリバイがなかったこと、元プロボクサーであったことなどから疑われたと言われている。
7月4日、警察は、工場とその2階の従業員寮を被疑者不詳の令状により捜索し、肉眼で見える血など付着していなかったにもかかわらず、袴田さんのパジャマだけを任意提出させて押収した上、袴田さんに任意出頭を求め、深夜まで取り調べた。その日、警察は、報道機関にパジャマに血が付いていたという虚偽の事実をリークし、「血染めのシャツ発見」「任意出頭を求める」などという報道がなされた(本誌17号「袴田事件はどのように報道されたか――犯罪報道と冤罪」福地明人)。警察は、すでに、根拠もなく袴田さんだけに狙いをつけていたことは明らかだった。
8月18日、パジャマにごく微量のA、AB型の血痕(袴田さんはB型)が付着していたとする鑑定などを根拠として、強盗殺人放火の被疑事実で袴田さんが逮捕された。その後、1日平均約12時間、最長16時間20分の取調べがなされた結果、9月6日自白に至り、同月9日、強盗殺人放火事件で起訴された。
ただし、取調べはその後も1ヶ月以上継続され、合計60通もの自白調書が作成され、そのうち45通が公判に提出された。
事件から1年2ヶ月経過した昭和42年8月31日、味噌工場内の味噌醸造用タンク内から、多量の血液が付着していた5点の衣類が麻袋に入って発見された。さらに、同年9月12日、袴田さんの実家からズボンの生地と切断面が一致するとされた端布が、警察官によって押収された。その結果、検察官は、冒頭陳述を変更し、犯行着衣はパジャマではなく発見された5点の衣類であると主張した。
昭和43年9月11日、静岡地裁は、45通の自白調書のうち、任意性がない、あるいは起訴後の取調べは違法との理由で44通を証拠排除したが、9月9日の検面調書のみ証拠能力を認めた上で、袴田さんが5点の衣類を着用して被害者4人をくり小刀で刺切創を負わせた後、パジャマに着替えて放火したと認定して死刑判決を言い渡した。
昭和51年5月18日控訴が棄却され、同55年11月19日上告が棄却され、死刑判決が確定した。
昭和56年、袴田さんは、静岡地裁に再審請求を申し立てたが、平成6年8月9日棄却され、平成16年8月26日、東京高裁で即時抗告が棄却、平成20年3月25日には特別抗告が棄却されて一次再審は終了した。
平成20年4月25日、袴田さんは拘禁症で心神喪失であるとして、姉の秀子さんが請求人となって第二次再審請求を申し立てた。その後、秀子さんが保佐人に選任されたことで、保佐人による再審請求とされた。この申立てに対する決定が、今回の静岡地裁の再審開始決定である。
静岡地裁での審理で、特筆すべきことは、証拠開示であろう(本誌74号「袴田事件―再審請求事件における証拠開示」小川秀世)。
一次再審ではまったく応じなかった検察が、弁護団の要請に応えて任意に開示し、さらに裁判所も2回の勧告をした結果、開示された証拠は合計約600点にも及んだ。それによって、ズボンのサイズの記号とされてきた寸法札のBが、実は色の記号であり、捜査機関はそのことを最初から知っていながら隠していたことが判明した。また、弁護団が存在すら知らなかった5点の衣類の発見直後に撮影したと思われるカラー写真も含まれていた。これらは、今回の決定の中でも引用されており、きわめて重要な新証拠となった。
もっとも深刻に争われたのは、DNA鑑定であった。第一次再審では鑑定不能で終わっていたが、今回は、弁護側推薦の本田克也教授からも、検察側の山田良広教授からも、DNAを検出したとする鑑定結果が提出された。しかし、検察官は、本田教授の血液由来のDNA鑑定を抽出する手法やチャートの読み方などを批判し、山田教授は、自らの鑑定は血痕ではなく汚染のDNAを検出したものだから意味はなく、本田鑑定も同じであるなどと主張したのである。
2.決定の内容
平成26年3月27日、静岡地裁は、再審開始を決定し、合わせて死刑の執行の停止並びに拘置の執行も停止した。特に、拘置の執行の停止は、これまでの再審開始決定ではなかったことであり、画期的なものであった。
決定の具体的内容は、以下のとおりである。
今回の決定では、まず、DNA鑑定についての判断から始められている。そして、STR型のDNAについては、本田教授の鑑定を一定の限度で信頼できるものとし、山田鑑定は汚染等の理由で排斥したものの、白半袖シャツのミトコンドリアDNAについては、一定程度の信用性を認めた。その結果「袴田の血痕とされる白半袖シャツ右肩試料(B型付着部)から抽出されたDNAは、袴田に由来するものではない蓋然性が高く、5点の衣類全体を見ても、各試料上の血痕が被害者及び袴田以外のものである可能性が相当程度ある」としたのである。
また、味噌漬けの生地や血痕の色に関する味噌漬け実験については、「5点の衣類の色は、長期間味噌の中に入れられたことをうかがわせるものではなく、むしろ、赤味噌として製造されていた味噌の色を反映していない可能性が高いうえ、血痕の赤みも強ずぎ、血液が付着した後1年以上の間、1号タンクの中に隠匿されていたにしては、不自然」とした。
こうして、5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠すなわち弁護団らが実施した3回の味噌漬け実験報告書等を、新規明白な証拠であるとし、これらの証拠により、5点の衣類が犯行着衣でもなく、袴田のものでもなく、後日ねつ造されたものであったとの疑いを生じさせるものとしたのである。
さらに5点の衣類に関して新旧証拠の総合評価をし、その後5点の衣類以外の新旧証拠の総合評価に進んでいる。
そして、5点の衣類に関する新旧証拠を総合評価しても、5点の衣類がねつ造されたものであるとの疑問は払拭できないとし、さらに、自白調書やパジャマなど、5点の衣類以外についての旧証拠は、そもそも袴田さんの犯人性を推認させる力がもともと限定的なものであるから、上記新証拠は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するとしたのである。
ただし、旧証拠について、上記のとおり限定的なものとしたことから、これらに関する新証拠については触れなかった。
旧証拠の評価の中で特筆すべきは、これまで、袴田さんが奪った現金の一部を預けた女性が、怖くなって投函したもので、自白を裏付ける重要な証拠とされてきた清水郵便局で発見された現金入り封筒についても、決定的な新証拠を提出できたわけではなかったが、18枚の紙幣の記号番号の部分だけがすべて焼かれていることなどから、「ねつ造の疑いがある」としたことである。
そして、袴田さんは、「捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、これ以上・・・拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する」として、拘置の執行も停止したのである。
3.決定の検討
これまでの裁判所の判断を越えた判断
今回の決定は、拘置の執行を取り消したという結論も、従来の裁判所の枠を越えたものであったが、決定の理由の論述も、これまでの裁判所の判断方法とは違っていると言ってよい。一言で言えば、「常識的でわかりやすい」論理ということである。とくに袴田事件の一次再審における裁判所の判断と比較すると、その違いが鮮明に浮かび上がってくる。そこで、可能な限り上記の比較をしながら、今回の決定を検討することとする。
常識的で簡明な論理
1)本決定は、今述べたとおり、重要な事実や証拠について、常識的で簡明な論理によって判断している。しかし、これは論理が大雑把であることを意味しない。むしろ、がっちりしてわかりやすい、いわば骨太の論理と言ってよい。
また、事実や証拠をさまざまな角度から検討し、その証明力の限界もふまえながら、一定の判断を与えている。その意味では、非常に厳密な事実認定といってよい。
2)DNA鑑定については、難しい科学論争が飛び交い、さまざまな論点が交錯していたが、本決定は、これを非常に簡潔にわかりやすく整理し、適切に評価した。
裁判所は、血痕が付着していなかった対象資料からは、まったくDNAが抽出されていないという本田鑑定の結果を重視するなどして、汚染のDNAの可能性は低いとし、それでも争いのある結果は捨象し、残った結果によって判断するなどの工夫によって、本田鑑定の有効性を説明した。そのため、難しい専門的な知識がなくとも、DNA鑑定についての決定の内容は、よく理解することができるのである。
3)味噌漬け実験についての評価も、予想以上であった。
そもそも、これまで裁判所は、味噌漬けになった衣類や血液が、どのような色変化をするのかなどわかるはずがないのに、「5点の衣類及び麻袋は、その発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることが明らかであって、発見の直前に同タンク内に入れられたものとは考えられない」(特別抗告棄却決定6頁)などと判断してきた。
このような思い込みを打ち破るための実験であった。しかし、2つの実験は、1年2ヶ月赤味噌に漬かっていると、生地や血痕が、5点の衣類と同じような色合いになるのかを確認した、いわば再現実験であった。
再現実験の場合、裁判所は、再現が不正確であるとか、誤差があるからという理由で、実験自体の価値をまったく否定してしまうことが、常であった。実際、一次再審での裏木戸に関する実験などは、このような方法で排斥されていた。
しかし、本決定は、5点の衣類の生地や血痕の色が、実験の結果と異なっていることを指摘した上で、こうした比較は、「厳密に数量化できるようなものではないが、大まかな傾向を把握するには十分で」「観察方法が主として肉眼によるとはいえ、証明力が必ずしも小さいということにはならない、肉眼で見て明らかに色合いが違えば、誰が見てもそのような判定になるのであり、観察者によって結論が異なることもない。」(48、49頁)として、実験の限界をふまえながら、なお、その意義を十分に評価したのである。
全ての事実・証拠を合理的に説明できるか
1)今回の決定は、事実や証拠すべてを総合的にかつ合理的に説明することができるかという姿勢で貫かれていることも特徴である。
刑事事件の事実認定においては、ともすれば、1つの事実を認定した後、それを絶対視して、そこから論理を展開して有罪を認定し、その認定と矛盾する事実は、可能性論で切り捨てていくという手法がとられてきた。
例えば、一次再審の即時抗告審は、弁護団のねつ造主張を、「単なる抽象的な仮説ないし憶測の域を出ない」などと決めつけた上、それと矛盾する事実、例えば白ステテコにズボンよりも多量かつ鮮明な血痕が付着していた事実は、「犯行途中でズボンを脱いだ可能性がある」などという可能性論で切り捨てていた。
2)しかし、本決定では、常に、事実や証拠の全体を合理的に説明できるかを検討しながら論理を展開している。
すなわち、本決定は、DNA鑑定によって、「5点の衣類が犯行着衣であり、袴田が着用していたものであるという確定判決の認定に相当程度疑いを生じさせるものであり、特に袴田の犯人性については、大きな疑問を抱かせるものである。」(決定書41、42頁)とした。
このように、科学的な鑑定ではあるが、資料が古く保管状態も悪かったこともあって、限度をふまえた結論を導いていることが表現からもよくわかる。しかし、この結論は、「もはや可能性としては否定できないものといえる」とし、「総合判断の際にも、この可能性を考慮して検討することが求められる」(50頁)として、この可能性を考慮した上での検討が貫かれているのである。
さまざまな可能性の検討
1)当然のことながら、事実や証拠を評価する際に、さまざまな可能性を考えることは必要である。しかし、これまで裁判所は、ともすれば、被告人に不利な方向にのみ、かつ、常識的な判断を越えた可能性論を用いてきたところがあった。
例えば「犯罪は通常人の日常の生活行動を逸脱した行為であるから、常識的な尺度から見た場合には不自然・不合理なところもある」(即時抗告決定書48頁)との考え方から「犯行着衣を取りあえず味噌タンクの味噌の中に隠すのが最も安全であると考えたとして不思議でない」(同50頁)などとされてきたのである。
2)これに対して、本決定は、従業員として働いていた者の行動としてのさまざまな可能性を検討し、タンク内に隠せば発見されてしまう危険が高いこともよくわかっていたはずだから、燃やしてしまう方が自然であり、捜索や仕込みの際などに発見されなかったのは、袴田さんが入れたものではないことを窺わせるとしたのである。
調書を無条件に許容しなかったこと
1)調書についての評価も、今回の決定の注目すべき点である。
熊本典道元裁判官の告白によれば、当初は、45通の自白調書すべてを証拠排除する予定であったが、合議に敗れ、有罪判決を書くことになったために、起訴当日の検面調書1通だけ採用することになったという。その結果、パジャマを着用していたとする自白の内容は、犯行着衣は5点の衣類とする裁判所の認定とは矛盾することになった。
ところが、これまでの裁判所は、自白は、パジャマが犯行着衣であると誤信していた取調官に迎合したもので、それ以外の部分は信用できると判断してきた。しかし、今回の決定は、「結局は取調官の思うところに従って供述したことになるのであるから、このような重要な部分で客観的な事実との食い違いが明らかになった以上、他の部分についても、同様の危険が存在するはずである」としたのである。
2)また、共布が発見された後の袴田さんの母親の、「端布は、巌の荷物の中にあった」との検面調書も、「警察官から端布が袴田の実家にあった同居者の全ての衣類と一致しないという事実を突きつけられた結果・・・に過ぎないとみる余地がある」とした。
いずれも取調べの実態をふまえて、現実的な可能性を考えた上での判断と言ってよい。
警察官による証拠のねつ造の可能性
1)そして、内容的にもっとも衝撃的とも言われているところが、5点の衣類について、警察官による証拠のねつ造の可能性を認めたことである。
これまでも、無罪になった多くの事例で、証拠ねつ造が疑われたことがあった。とくに、静岡県下では、幸浦、二俣、小島と最高裁で破棄されて無罪が確定した3つの強盗殺人事件で、いずれも自白の強要と秘密の暴露の偽装が疑われたが、裁判所は、自白の信用性を否定しながら、任意性の否定には消極的であり、ねつ造の可能性にはまったく触れなかった。こうした裁判所の姿勢が、捜査機関の横暴を許してきたことは間違いない。
2)これに対して、今回の決定は、はっきりと警察官による証拠のねつ造の可能性を認めたのである。
このような認定に至ったのは、第1に、本件では5点の衣類が犯行着衣でなければねつ造証拠しかありえないし、それによって、はじめてすべての事実や証拠を合理的に説明できるからである。
第2に、捜査段階の人権無視の取調べをはじめ、前述の清水郵便局で発見された焼かれた紙幣、さらには決定で触れられてはいないが、上の留金がかかった状態での裏木戸の侵入、脱出実験など、他にも警察官によるねつ造が強く疑われる証拠がいくつも存在したからである。
第3に、本件のような重大事件で、警察官が証拠をねつ造し、その結果48年間も袴田さんを拘束してきたことに、裁判官が、本当に強い憤りを覚えたということであろう。その結果、警察に対して配慮するどころか、「耐え難いほどの不正義」と感じて、死刑執行停止だけでなく、拘置の執行停止まで認め、袴田さんの釈放させたことにつながったものである。
結語-裁判員裁判の影響か
以上のような今回の決定の事実認定の特徴を検討してくると、裁判員裁判の影響があるのではないかと思えてならない。常識的でわかりやすい判断、調書を重視しない姿勢等は、裁判員裁判の特徴である。もちろん、裁判員裁判の導入に伴う公判前整理手続における証拠開示の制度が、今回の証拠開示に結びついていることは明らかである。考えてみれば、弁護団も、最終意見書の陳述は、パワーポイントを用いたプレゼンテーションを行った。
裁判員裁判が施行されてから5年になる。今回の決定を担当した裁判官たちも、相当数の裁判員裁判を経験し、一般の人たちと議論することによって、孤立した考え方や判断方法などが、知らず知らずのうちに修正されることになったのかもしれない。また、弁護人も、制度によって、少しは成長したと言えるのかもしれない。
そして、裁判員裁判がよい影響を与えた結果、この画期的な再審開始決定を生み出したとすれば、すばらしいことである。