12月11日第3回、20日第4回 再審公判開かれる

第3,4回再審公判       2023年12月11日,20日

 弁護団冒頭陳述書 テーマ② 5点の衣類

総論 5点の衣類は「袴田さんのもの」でも「犯行着衣」でもない

A  5点の衣類がなければ有罪判決もない

5点の衣類は、有罪判決の決定的証拠とされていたものです。

事件からおよそ1年2ヶ月後にみそ工場のタンクから突然発見された5点の衣類が、犯行着衣であり、袴田さんのものであるとされたからです。

そして、5点の衣類以外の証拠は、袴田さんの犯人性を推認させる力がもともと限定的又は弱いものでしかなく、5点の衣類がなければ、およそ有罪判決がなされることはなかったことは間違いありません。

 

B  5点の衣類は再審請求審で2度、ねつ造の可能性があると判断された

ところが、その決定的証拠であったはずの5点の衣類が、再審請求の審理においては、ねつ造証拠の可能性が高いとされたのです。

しかも、ねつ造は捜査機関による可能性が高いとされてきました。

 

C  検察官の主張立証は確定審から何も変わっていない

ですから、検察官が、それでも5点の衣類は犯行着衣であるというのであれば、これまでとはまったく違う事実や証拠で立証しなければならないでしょう。

ところが、検察官の立証方法は、結局、これまでと何も変わらないものでした。その内容も、5点の衣類の血痕の付着状況や損傷から犯行着衣と判断できるという、きわめて主観的、感覚的なものにすぎませんでした。

したがって、本当は、現段階で、検察官は立証ができなかった、あるいは有罪立証自体するべきではなかったとして立証を断念し、無罪判決がなされるべきなのです。

 

D  犯行着衣でも袴田さんのものでもないことを明らかにします

しかし、不当にもこうして裁判が続けられています。

そこで私たち弁護人は、事実と証拠にもとづいて、5点の衣類が犯行着衣とはいえないこと、合わせて袴田さんのものでないことについて、明らかにします。

本期日においては次の4項目について、次々回期日においては、他の項目について主張します。

■このページは12/11冒陳の見取図です■読み上げ用ではありません■

 

1  5点の衣類を犯行直後に隠すことは「ありえない」

(1) 裁判所の見解:仮に隠すとしたら犯行直後以外にない

(2) タンク内の残存みその量からみてねつ造以外に「ありえない」

(3) 衣類を使用中のタンクに隠すことなど「ありえない」

(4) 袴田さんの部屋に血痕が無かった事実からみてねつ造以外に「ありえない」

(5) 7月4日の捜索時点で麻袋が入っていなかったことから「ありえない」

 

2  衣類の生地の色からみてねつ造以外「ありえない」

(1) 生地の色がそのまま残っている事実からみてねつ造以外に「ありえない」

(2) みそ漬け実験で確認された事実からみてねつ造以外「ありえない」

(3) びしょ濡れの衣類がみその色に染まっていないことからもねつ造以外「ありえない」

(4) 検察官によるカラー写真の隠蔽からねつ造以外に「ありえない」

 

3  傷と血痕の付着状況からみてねつ造以外「ありえない」

(1) 被害者の着衣と返り血の関係からみて犯行着衣では「ありえない」

(2) 《万有引力の法則》からみて犯行着衣では「ありえない」

(3) 上着→下着という血の浸透順序からみてありえない」

(4)  ズボンの素材の性質からも犯行着衣では「ありえない」

 

4  はけないズボンは袴田さんのものでは「ありえない」

(1) 袴田さんにズボンがはけたという主張への反論

(2) ズボンがはけなかったのは、サイズが小さすぎるから

 

■よって 5点の衣類は犯人でも袴田さんでもない誰かが隠した

 

5 …… 以降は次々回期日に主張します

1   5点の衣類を犯行直後に隠すことはありえない

5点の衣類は、みそ醸造タンクである1号タンクから発見されました。

犯行着衣であれば、これらの衣類は、事件直後にタンクに入れられたということになります。

 

(1)  裁判所の見解:仮に隠したとすれば事件直後以外にない

この点について、差し戻し後の東京高裁が適切に判示しています。

「犯行直後でなければ、犯行後に5点の衣類を1号タンク以外の場所に一旦は隠匿しておき、警察の捜索等によっても発見されていないのに、既に捜査が開始されている状況下で、隠匿場所から5点の衣類を持ち出し、犯行現場の直近で人目にも付きやすい本件工場内における1号タンクに隠匿したことになるが、そのようなことは、常識的には想定できない」(高裁決定46頁)というのです。

 

(2)  タンク内の残存みその量からみてねつ造以外に「ありえない」

しかし、事件当時も、1号タンクは衣類を隠す場所に使うことなど不可能な状況でした。当時、1号タンクには、80kgの返品みそが入っていただけだったからです。

80kgのみそは、タンクが縦2.29m横2.03mもあるため、ならせば底から約1.5cmの高さにしかならず、およそ隠すことなどできなかったからです。

また、1号タンクには当時返品みそが入っており、みその色の調整に使っていました。したがって、みそを取り出すときいつ発見されてもおかしくない状況だったからです。

 

(3)  衣類を使用中のタンクに隠すことなど「ありえない」

そして、事件直後から新たにみその材料約4トンが仕込まれた7月20日までの間に、1号タンク内の返品みそは、実際に取り出されていたのです。にもかかわらず、5点の衣類入りの麻袋は発見されませんでした。

この事実は、当時、麻袋など入っていなかったことを示していると同時に、従業員が1号タンクに犯行着衣を隠そうなどと考えるはずがないことも示しています。

そもそも隠すことに時間も手間も要し、いま述べたように、いつ他の従業員に発見されるかもしれず、しかもその後必ず取り出さなくてはならいのです。みそで汚れた麻袋を引き上げて運ぶという、異様で手間のかかる行動も見つかる危険が高いことは明らかです。工場内は、4人の従業員が寮として住んでおり、別に宿直の従業員がいたのです。従業員がみそタンクに物を隠すことなど、頭に浮かべることすらないでしょう。

 

(4)  袴田さんの部屋に血痕が無かった事実からみてねつ造以外に「ありえない」

また、検察官が主張しているように、袴田さんが犯行着衣を着替えたというのであれば、寮の部屋以外にありません。あらかじめ、着替えのパジャマを持って強盗に入るわけがないからです。そうすると、寮の部屋内に血が付着しないはずがありません。

しかし、7月4日の捜索の際、袴田さんの寮の部屋の中で血痕が発見されたという事実はありません。

 

(5)  7月4日の捜索時点で麻袋が入っていなかったことから「ありえない」

これに対して検察官は、事件当時の1号タンクのみその量は、200kg~80kgと主張しました。

しかし、これも事実と全く異なります。200kgというのは、タンクの周囲を掃除した従業員の村松喜作さんの証言です。これに対して80kgというのは、従業員岩崎和一さんの証言です。岩崎さんは、7月4日に残っているみその量を確認することが目的だったのですから、より正確と考えられます。

ただし、200kgであっても、ならせば計算上底から約3.35cmの高さにしかなりません。

また、村松証言では底から10~15cmのところも、底が見えるところもあったとなっていますが、そんなところに隠すことができるでしょうか。検察官の主張している当時のみその量の如何にかかわらず、一号タンクに隠すことなどできなかったというべきです。

また、検察官は、次のように主張しています。「7月4日に工場内を捜索したときには、みそを取り出して捜索することは、会社が大きな損害を被るからやめて欲しいと責任者の望月倶輔さんに要請され、みその中は捜索しなかったから、麻袋が中に入っていた可能性がある」と。

しかし、みそを取り出すときは1日に数百kgも取り出しているのです。しかも、80kgのみそは、ならせば、わずか1.5cmの高さにしかならないのです。さらに付け加えると、麻袋が入っていたとすれば、その部分だけ異様なほど、山のように盛り上がっていたはずです。

これは、私たちが30年以上前に実物大のみそタンクの模型を作って実験し、この目で確認したことです。平均1.5cm位のみそしか入っていないのに、一部だけが不自然に盛り上がっていれば、中に何か入っているか確認しないまま放っておくでしょうか。また、そんな少量のみそに棒などを刺して確認することが、会社に大きな損害を与える行為でしょうか。

もちろんそんなわけはありません。

望月倶輔さんの要請は、みその醸造の途中で出せば大きな損害を被るということでした。そうであれば、みその醸造をしておらず、返品みそしか入っていなかった一号タンクのみその中を確認しなかったという捜索を担当した栢森警察官の証言は、とても信用できません。

しかも、栢森警察官は、タンクの上から1m40cm位のところまで、みそが入っていたと証言しています。すると、2トン200㎏、すなわち2200㎏以上のみそが入っていたことになります。これでは、従業員であった岩崎さん、村松さんの証言による80㎏から200㎏と比べて桁違いに大量のみそが入っていたことになります。あまりに不自然です。検察官ですら、みその量についての栢森警察官の証言は紹介しませんでした。

残念ながら、栢森警察官の証言は、まったく信用できないのです。

彼は、1号タンクの中に麻袋が入っていたと思わせるために嘘をついたのです。そうであれば、同じ栢森警察官の捜索の際「みその中は探しませんでした、だから味噌の中に麻袋があったとしてもわかりませんでした」という趣旨の証言も、到底信用できません。

要するに、袴田さんが部屋で血の付いた衣類をパジャマに着替えた事実もないし、犯行着衣をみそタンクに隠した事実もなかったということなのです。

 

 

2   衣類の生地の色からみてねつ造以外に「ありえない」

5点の衣類が入れられたのは、事件直後か発見直前のどちらかしかありません。検察官は、これを犯行着衣であるというのですから、これらの衣類が、一号タンクの赤みその中に1年2ヶ月間漬かっていたことを証明しなければなりません。

これに対して、5点の衣類が発見直前にみそタンクに入れられたものであれば、ねつ造証拠であることになります。

どちらであるのかは、衣類の生地の色によって簡単に判断できるはずです。

 

(1)  生地の色がそのまま残っている事実からみてねつ造以外に「ありえない」

ここで「生地の色」というのは、衣類の生地がみその色に染まっているか否かという問題です

一号タンクに入っていたのは、赤みそでした。

ですから、白い生地の衣類が1年2ヶ月間も漬かっていれば、当然赤みその色に染まることになります。そして、これは1年2ヶ月間みそに漬かっていたか否かを判断する決定的な資料になるはずです。

そして、発見された衣類のうち、ステテコや半袖シャツの生地は、赤みその色に染まっておらず、もともとの生地の色である白色に近い状態でした。この点は、発見直後の白黒写真からも明らかです。

生地が白いままであったという事実は、衣類が1年2ヶ月間もみそに漬かっていたのではないことをはっきり示しています。

また、緑色ブリーフも、本来赤みそに長期間漬かっていればみそ色に染まり緑の色もわからなくなりますが、開示されたカラー写真では、ブリーフの緑色ははっきりと残っていました。

生地の色がそのまま残っているということは、発見直前に入れられたということです。

このように発見されたときの衣類の状態からして、ねつ造証拠であることが、だれでもわかるはずです。ですから、この時点で、もう一度検察官にも裁判所にも考え直していただきたいのです。

 

(2)  みそ漬け実験で確認された事実からみてねつ造以外に「ありえない」

みそに漬かると衣類の生地の色がどのような色に染まるのかは、みそ漬け実験によっても確認されています。

弁護団だけでなく検察官も、いろいろな種類のみそにいろいろな期間、血痕を漬ける実験を行いました。

ですから、それらの実験結果と5点の衣類の状態を比較すれば、1年2ヶ月間漬かっていたものか否かは一目瞭然です。

特に、弁護人側の実験では、みそを「たまり(みそから出る液体と同じです)」に溶かして衣類に浸透しやすくすれば、どのような色の生地であっても、20分でその混合液の色に染まることが明らかになっています。

この実験をはじめ再審請求審では、7回のみそ漬け実験について報告書などが証拠として提出されています。そして、このすべての実験を行った支援者の山崎俊樹さんが証言しています。

みそ漬け実験の結果や山崎さんの証言から、当然のことですが、みそに漬かっていれば、白い生地は、みその色に染まることが確認されました。緑色ブリーフはタオル地でみそから出た液体がよくしみ込むので、もとの色がまったくわからなくなってしまうことが明らかになりました。

そして、生地がみその色になるという結果は長期間を要するものではなく、みそから出た液体が衣類にしみ込めば短時間でみそ色に染まることもわかりました。

また、こうした実験の過程で、「麻袋の中の衣類」を単にみその中に漬け込むだけでは、麻袋に入っていることや、衣類の生地の性質などからも、みそから出た液体がしみ込みにくいことがあることも明らかになりました。

 

(3)  びしょ濡れの衣類がみその色に染まっていないことからもねつ造以外に「ありえない」

すると、5点の衣類が麻袋に入っていたことから、みそから出た液体が生地に十分に浸みたのかどうか、疑問が出されるかもしれません。

この点は、1号タンクの中から発見された直後の5点の衣類の状態や、みそ漬けの実験の結果などから、1号タンクには十分にみそから出た液体があり、それが衣類にしみ込んでいたことがわかります。

まず、5点の衣類が発見されたときの状態ですが、発見した水野源三さんは、衣類は「どれもこれも味噌のつゆでぼたぼたになっており」あるいは「味噌の汁に濡れて、その味噌の汁の色がしっかりとしみ込んでいました」などと供述しています。

そして実際、発見直後、写真からみても衣類は水分を吸収してびしょ濡れの状態でした。また、実況見分調書には、麻袋からこげ茶色の液体が垂れていたと書かれていました。発見されたときの5点の衣類には、みそから出た液体が十分にしみ込んでいたのです。

このように、衣類の生地の色がほとんど液体の色に染まっていない事実は何を意味しているのでしょうか。

当然、みそに漬かっていた時間が極端に短かったことを裏付けるのです。

 

(4)  検察官によるカラー写真の隠蔽からねつ造以外に「ありえない」

1年2カ月もみそに漬かっていたものでないことは、カラー写真からこんなに簡単にわかるのに、弁護団は、なぜ今になって生地の色のことを言い出したのかなどと疑問を持たれた方もいるかと思います。

それは、私たち弁護人も検察官にすっかり騙されていたからなのです。

弁護人が、最初に見せられていたカラー写真は、佐藤秀一鑑定書に添付された写真だけでした。

佐藤鑑定監は静岡県警の職員です。佐藤鑑定書には、5点の衣類のカラー写真が添付されていましたが、いずれも色の再現が不十分なものでした。佐藤鑑定書のカラー写真について、差戻し前の最高裁も、「色調の正確性に疑問があり、5点の衣類の大まかな色合いの傾向を把握するにも不適当な資料」であると判示していまです。

そのため、私たちは、「生地の色がみその色に染まっていないのではないか」「生地の白色や緑色が残っているのはおかしい」などという疑問は、まったく頭に浮かばなかったのです。鮮明なカラー写真を見ていなかったからです。

ところが、2020年12月に検察官から開示されたカラー写真は、先ほど述べたとおり非常に鮮明なものでした。生地の色がみそに染まっていない、また緑色ブリーフの緑色もきれいに残っているものでした。

私たちは検察官にまんまと騙されてしまっていたのです。

騙されたのは、裁判所も同じです。最高裁すら騙されたのです。1次再審の最高裁は、騙された結果、「5点の衣類及び麻袋は、その発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることは明らか」と言っています。

事件から1年2ヶ月も経ったあとに発見された衣類は、それだけで大いに怪しいと感じさせます。検察官は本来なら、5点の衣類が犯行着衣であるか否かを徹底的に調査し、その結果を裁判所に提出すべきでした。ところが検察官が行ったことは、鮮明なカラー写真を、私たちにも裁判所にも隠蔽したということです。その結果、裁判所は判断を誤ったのです。

この事実からも、検察官も、5点の衣類のねつ造の共犯者であったことがわかります。そして、この隠蔽行為がこの事件の再審開始を決定的に遅らせた原因であったことは明らなのです。

 

 

3   傷と血痕の付着状況からみてねつ造以外「ありえない」

5点の衣類が犯行着衣であるとすると、血の付着の状態が、説明できないところがたくさんあります。

 

(1)  被害者の着衣と返り血の関係からみて「ありえない」

検察官は、5点の衣類が犯行着衣であると主張しています。それは、犯行態様と血の付着状況が整合しているというのです。つまり「犯人は、藤雄さんからもっとも激しく抵抗された」、だから5点の衣類から検出された血液が藤雄さんの血液型であるA型がほとんどだった、というのです。

しかし、これはまったくの間違いです。

犯行態様でもっとも重要なところは、刃物による傷は、4人とも同じような部位に集中しており、しかも刺し傷ばかりであることです。

これは、被害者が全員、身体を動かせない状態で刺されたことを強く推認させます。

被害者は逃げ回ったり抵抗したりすることができなかったのです。そして、証拠からすれば、4人全員が起きていたと考えられるのです。

4人が起きていたのであれば、衣類を着用していたということです。

とくに、血液型がA型であった藤雄さんは、傷の数は15カ所と多数ですが、傷の場所は衣類によって覆われていたはずの右胸と右背中がほとんどでした。何も「抵抗」していないということです。

犯人が返り血を大量に浴びることなどなかったはずです。

そうすると、「犯人は、藤雄さんからもっとも激しく抵抗された」という検察官の主張はまったく間違っており、5点の衣類の付着血痕がほとんどA型であることは、むしろ犯行態様と矛盾する事実であると考えられます。

なお、次女扶示子さんの血液型であるO型の血痕が5点の衣類からまったく検出されないことも、犯行着衣であることからは説明困難です。

 

(2)  《万有引力の法則》からみて「ありえない」

これらの衣類に付着している血は、犯人が刃物で被害者を刺した犯行時に付いたものでなければなりません。ところが、そうすると5点の衣類の血液の付着状況は、きわめて不自然で説明困難なのです。

まず、血が垂れた痕がまったくないことです。

被害者を刃物により40個所も次々に刺しているのですから、被害者の血が着衣に付いたときは、犯人は、立って動いていたことは明らかです。

そうであれば、被害者の血が犯人の衣服に飛んで血が付いたとすると、付着した血は重力の影響で必ず下へ垂れるはずです。

もっともわかりやすいのは、上衣の一番外に着ていたと考えられているスポーツシャツの血痕です。スポーツシャツに付着した血痕には下に向かって垂れた痕はまったくありません。360度すべての方向に染みて広がったような血痕です。このことから、平らに延ばして置いたスポーツシャツの上から血を落として付着させたということが強く推認されます。

以上の事実は、5点の衣類が犯行着衣であるという検察官の主張と明らかに矛盾しています。

 

(3)  上着→下着という血の浸透順序からみて「ありえない」

5点の衣類は、一人分の着衣でなければなりません。

上衣は白半袖シャツの上にねずみ色スポーツシャツを着ており、下は緑色ブリーフをはき、ステテコをはいて、その上に鉄紺色ズボンをはいていたということです。すると、血の付着状況について、犯行着衣であるということからは、説明できない事実がいくつも認められます。

犯行着衣であれば、被害者の血は上衣から下衣にしみ込んでついたはずです。

ところが、5点の衣類の中には、それでは説明できないところがあるのです。下に着用していた衣類に直接血がついた、と考えないと説明がつかないのです。

一番わかりやすいのは、ズボンの下にはいていたと考えられるステテコです。ステテコには左右の太ももから下の部分にかけて、多量の血痕付着部分があります。これに対して、対応するズボンの裏生地には、はっきりした血痕の付着が認められません。

これについて、 一次再審の東京高裁決定は、「犯行時に、ズボンを脱いだ可能性もある」などと述べています。

しかし、こんな強盗殺人犯がいるはずがありません。東京高裁の裁判官が、説明できない事実について苦しまぎれにした認定と言ってよいでしょう。

この点、検察官は「衣類を着替えるために脱いだときに、血の付いた他の衣類から付いた」などとも言っています。

しかし、血が染みこんだ衣類が、他の衣類に触れただけであんなに大きな血痕になるでしょうか。

そもそもステテコには、もっとも多量の血がついています。どの衣類から血が付いたということになるのでしょうか。

ステテコは、麻袋から取り出したとき、裏返しになっていました。しかし、ステテコの血は裏側からではなく、表側から付いていました。犯人がステテコを脱いだときには表側で、それに他の衣類が重ねられたて血が付き、犯人はそこで裏返しにして麻袋に入れたというのでしょうか。

検察官の説明は、まったくつじつまが合いません。

スポーツシャツと白半袖シャツの右胸の部分にも、上から染みこんだものとは説明できない血の付着状況が認められます。これも、写真から一目瞭然です。

白半袖シャツには、胸のあたりに盛り上がった血の固まりのような部分があります。血液は、衣類に付着すれば、すぐに浸透し、盛り上がるような血痕を作ることは決してありません。

ですから、この事実は端的に白半袖シャツは固まりかけた血を直接付着させたということを示します。ねつ造の重要な裏付けといえます。

しかも、この盛り上がったような血痕には、人の手によってそぎ落とされたような痕があります。発見されたときにすでにそぎ落としたような痕があったのですから、タンクに入れる前からのものです。

しかし、犯人がわざわざ血痕をそぎ落とすなどという行為をするはずはありません。ねつ造した者がそぎ落とした、以外に説明はつきません。この事実も、端的にねつ造を裏付けています。

ところが、5点の衣類発見後に警察官が、「血痕を採取」などと説明書を付けています。

この警察官は、これが「血痕を採取」した痕であることをどうして知っているのでしょうか。本人か仲間が「血痕を採取」しない限り、このようなことを書けるはずがありません。

ここからも、ねつ造したのは捜査機関であることがよく伝わります。

さらに、白半袖シャツの背中の裏側部分には、広範囲に直接血が付いた部分が確認できます。

犯行時、下着の背中に直接被害者の血が付着することはありえません。まして、その下着の裏側に直接血が付くことなど、絶対にないと言ってよいでしょう。

これは、これまでまったく指摘されていなかった事実ですが、ねつ造を裏付ける、きわめて重要な証拠です。

また、衣類のうち一番下に穿いていたはずの緑色ブリーフには、B型の血痕が付着していましたが、ステテコからもズボンからもB型の血は検出されていません。

このことだけで、ブリーフに血が付着していること自体、ねつ造の証拠であると言ってよいでしょう。

ただし、この点については、左手中指を切った袴田さんが、ブリーフを脱ぐときに付いたものという説明があります。しかしそれでは、緑色ブリーフの表面の左側だけでなく、右側の特に裏側の相当な広範囲にB型の血がついていたことの説明がつきません。

また、衣類を脱ぐのは、ズボン、ステテコ、ブリーフという順のはずですが、ズボンやステテコにはB型の血が付着していません。ズボンやステテコには触れないでブリーフを脱いだということでしょうか。あるいは、ズボンやステテコを脱ぐときには出血していなかったが、ブリーフを脱ぐときには血が出てきたというのでしょうか。

この点においても、検察官の立証は矛盾だらけと言わざるをえません。

同じ理由から、スポーツシャツや半袖シャツにB型の血の付着がないことも疑問です。衣服を脱いだときに手で触れざるをえないからです。もっとも、左手中指の怪我をした袴田さんの血が、ブリーフだけについたという説明は、ズボンに絆創膏が入っていたことからすると、はなはだ不合理です。

絆創膏は、怪我をしたから取りにいったはずです。そうだとすれば、絆創膏を見つければ、すぐに傷口の手当をするはずです。

手当をしたにもかかわらず、ブリーフに染み渡るほどの血が付いたというのでしょうか。やはり、検察官の立証は受け容れ難いものです。

 

(4)  ズボンの素材の性質からみても「ありえない」

そもそもズボンには、はっきりした血液付着は認められません。薄っすらと血液が付着しているように見える程度でした。これはどういうことでしょうか。

ズボンはオールウールと表示されていました。ウールの生地は、水をはじきます。ですから、血液もみそから出る液体も浸透しにくいのです。

そうすると、ねつ造の際ズボンを平面において血液を垂らしても、あるいは麻袋の中に衣類を入れてみそから出る液体に浸しても、なかなか染みこまなかったはずです。それでは、犯行着衣のように見せかけることはできません。

その場合、ズボンをいったん塩水や、岩崎和一さんの説明のように、醤油を作るもろみなどに浸して絞り、十分水分をしみ込ませておけば、そこに血液やみそから出る液体をしみ込ませることは、容易になります。

そうすると、血液やみそから出る液体の色は当然薄くなるように思います。しかし、ズボンの裏生地に血液やみそがあまり付着していない状態、あるいは色がむらになっている状態をみると、こんな細工をした可能性も推認すべきではないでしょうか。

さらに、このように考えてくると、ステテコや半袖シャツに、みそ色にほとんど染まらなかった部分があるのは、全部の衣類を麻袋に入れ、先に別の液体に浸したあとにみその中に入れたからなのかもしれません。

最後に、5点の衣類が入っていた麻袋にも触れておきます。

あれほど血まみれになった衣類を入れたのにもかかわらず、麻袋には目に見える血痕はなかったとされています。

これは、血液がある程度乾燥してから、麻袋に入れたということなのでしょう。

血のべったり付いた犯行着衣を犯人が隠そうとしたとき、すぐに麻袋に入れずに、しばらくの間、別のところに乾くまで待つでしょうか。この点も、犯人の行動としては考えられない部分です。

ねつ造を強く推認せざるを得ません。

 

 

4   はけないズボンは袴田さんのものでは「ありえない」

 

(1)  袴田さんにズボンがはけたという主張への反論

袴田さんにズボンがはけないことは、何よりも東京高裁における3度にわたる検証で、袴田さん自身がズボンをはけなかった事実から明らかです。

さらに、元々のズボンのサイズからも、動かしがたい、明白なことといえます。

ところが、検察官は、この期に及んで、このズボンが袴田さんにはけたなどという、詭弁を弄しています。

弁護人は、この様な検察官の主張立証に断固抗議し反論します。

 

① ズボンのサイズをめぐる謎と問題

まず、検察官は、袴田さんが日常使用していた皮製バンドと鉄紺色ズボンの胴回りを比較して、袴田さんの体格に合致していることを主張しています。

しかし、ズボンをはくためには太ももが入らなければはけないのです。実際に、袴田さんが確定審の高裁段階で行ったズボンの3度にわたる着装実験の写真を見ると、袴田さんがズボンを履けていないのは胴回りではなく、太ももの部分で引っかかっているからなのです。この点で、検察官の皮製バンドに関する主張は無意味なものです。

次に、袴田さんがズボンをはけたかどうか以前に、そもそも、ステテコとズボンを比べて見れば、その大きさからして、このズボンの下にこのステテコを履くということ自体が、困難でおかしなことであるのが分かります。

実況見分調書によると鉄紺色ズボンのサイズは腰部の幅40センチ、白ステテコも腰部の幅40センチとされていて、鉄紺色ズボンと白ステテコの幅のサイズは同じとされています。

さらには、白ステテコは渡り部分を採寸したものではないので、渡り部分を考えれば白ステテコの方が大きいものと考えることもできます。

この点は、後ほどズボンとステテコの実物を示すので見てください。

 

② ズボン記載の符号「B」をめぐる問題

次はズボンに記載されていた符号「B」の問題です。検察官は、確定審においては、本件ズボンに記載されていたBという文字が、真実は色を示したものであるにもかかわらず、ズボンの大きさを示した表記であると偽り、ズボン製造元の尾関さんにもそれに沿う証言をさせて、裁判官及び弁護人、もちろん、袴田さん自身を欺いて来ました。

確定審の昭和55年9月22日付の竹村輝夫検察官の弁論要旨は嘘を述べていました。

「本件ズボンのサイズがB4号であるとする原判決の認定を疑う余地は全くない(略)ズボン右チャック内側マークの「寸法」欄の「4」の数字の下に「B」の表示が読みとれることに留意すべきである。

(略)尾関の証言によれば、昭和39・40年当時の既製服の型式にはY、A、AB、B各体の4種類があったが、(略)4号のB体では、ウエスト84センチ、ヒップ99センチ、AB体ではウエスト82センチ・ヒップ97センチ、A体ではウエスト80センチ・ヒップ95センチに縫製されていた、(略)本件ズボンの縫製時の寸法は、小さく見積っても、ウエスト83センチ、ヒップ98センチであったと認められる。

(略)ウエスト等を縮め、裾上げして販売された段階では、このズボンのウエストは、小さ目にみても、ほぼ80センチ、ヒップは95、6センチ程度であったと見るのが相当である。

(略、従って)被告人は、本件犯行当時、符号99号のズボンを優にはくことができたと認められる。」

しかし、この様な主張が虚偽の主張だったことが、再審請求審の証拠開示で明らかになったのです。要するに、検証時の通りのサイズだったのであり、味噌で縮んでなどいなかったのです。

そして、それが明らかになった今、検察官は、この主張をできなくなりました。

しかし、検察官はこの期に及んでもあたかも袴田さんが太ったというように証拠を並べたてて、それが理由で本件ズボンがはけなくなった、と主張し始めました。

 

③ 袴田さんの体重・体型をめぐる問題

検察官の今の主張は、こうです。

「実際、被告人は事件前の昭和40年11月8日時点で体重55㎏、身長161㎝でしたが、控訴審で鉄紺色ズボンをはく実験が行われた時には体重が61.5㎏ないし62kgと、約7㎏増加していました。」

裁判官や傍聴人の皆さんは、この主張を聞いて、袴田さんが事件発生時から、7㎏も太ったのだ、という印象を受けたのではないでしょうか。

しかし、それは誤った印象です。

 

なぜなら、事件が起こったのは昭和41年の6月30日であり、検察が言う、体重55kgの記録があるのはそこから8カ月近くも前なのです。

それだけではありません。

袴田さんが逮捕されたのは、昭和41年8月18日ですが、その際の記録には、「161㎝位、丸顔、小太り」とあり、逮捕から2カ月後、清水警察署から静岡拘置所に移された際、昭和41年10月18日の体重は、「61kg」とあるのです。

要するに、検察の主張する、事件より8カ月も前でない、事件に近い時点で、袴田さんは小太りであり、体重は60kgを超えていたのです。

もちろん、その真偽は定かではありませんが、身に覚えがない犯罪で事件直後から、連日警察官に追い回された袴田さんが被っていた心労は経験しなくとも十分想像できます。更に逮捕された後は、連日連夜の取り調べで食べることも寝ることも満足にできなかったのですから、普通に考えれば、袴田さんの体重は事件後に減っているはずではないでしょうか?そうすると、袴田さんのそれまでの体重は、逮捕から2か月後に計測された61kgよりも大きかったと考えるべきです。

そして、この点について、袴田さんは自らしたためた確定審の上告趣意書に(昭和52年3月14日付け。同月16日受領印)おいて、次のように記しました。「フェザー級のプロボクサーの人達の平素の体重は押並べて63乃至66キロは有しているのである。私の通常の体重は昭和33年頃から63乃至66キロ程でした。当時プロボクサーとして最高位フェザー級6位でした。フェザー級の体重リミットは57.15キロです。私は60数キロの体重を限(ママ)量によって59キロ程にまず落とし、残りの約2キロは飲まず食わずで運動し又はムシ風呂に入って体の水分を取ってやっとフェザー級のリミットにパスしておりました。その後、37年頃でしたか限(ママ)量の失敗などがたたって少し神経をやられ真直ぐ歩けなくなり、更には動く物が二つに見えたり致しましたので選手生活が不可能になり、やむをえず、一時休業を取る意味で、バーなどで働いたり、経営もしました。その後、昭和40年1月から、こがね味噌工員に採用され、その為力仕事も行うので体力的にも神経的にも一応ボクサーとしての生活が出来るようになりました。そのころ妻のレイ子とも別れ、私はこがね味噌工場内寮に住込むこととなり、一日一日体力をたくわえる為、仕事後毎日ロードワークに勤め、昭和40年11月頃には従来の私のフェザー級の体重を一階級落としてカムバックしたいと思い、限(ママ)量を重ねに重ね遂に55キロ程度まで落としました。その当時の限(ママ)量中の私の体重がこがね味噌の身体検査55キロに当たりました。従って、検察官の主張される昭和40年11月の私の体重55キロは事実である。しかし、右体重は限(ママ)量して無理やり落としたものであって、右の体重を2日と維持できるものではないのであります。従って、55キロの体重は本件に無関係のものであり、問題外であります。尚、昭和40年11月頃、私はボクサーとしてカムバックするという理由で、(略)串田ボクシング・ジム、串田昇会長に、私のボクシングライセンスを預けました。今日でも預けたままになっております。尚、限(ママ)量して体重を落とす場合、私の体質では内臓だけで5キロは落ちます。従って、本件で、問題の太股部分の太さは、私の体重が、仮に55キロに成ったとしても殆ど変化しないのであります。でありますから、血染めのズボンは、私に絶対に穿けない訳であります。」

 

④ 検察官の主張の矛盾と問題

このように、袴田さんは、みずからの上告趣意書において通常の体重は63乃至67kgと述べています。

また、ボクサーとして階級を一つ下げての復帰に向けて減量していた昭和40年11月8日時点で、体重55㎏だったと述べています。

今まで述べたような袴田さんの体重に関する各証拠をもって袴田さんが体重増加によってズボンをはけなかったわけではないということを立証していきます。

 

 

(2) ズボンがはけなかったのは、サイズが小さすぎるから

袴田さんが鉄紺色ズボンをはけなかったのは、鉄紺色ズボンのサイズが小さすぎるからであることを述べます。

 

① 間壁鑑定から

共立女子大学家政学部の間壁治子教授は、平成12年、弁護団の依頼により鑑定を実施しました。

検察官の主張立証にもあった通り、確定控訴審において、砺波教授が鉄紺色ズボンが1年以上みそ漬けにされたときにその生地が縮むか否か等の鑑定を実施しています。砺波教授は、鉄紺色ズボンの裏地や芯地が収縮し、見かけ上の収縮が生じていること等を示しました。

間壁教授は、砺波鑑定の信用性を検討するために、ウール地を水、塩水、味噌に漬けるモデル実験を実施しました。その結果、収縮は最大1%程度であり、いずれの条件でもほとんど生地が収縮しないことが明らかになりました。間壁教授は、砺波鑑定で収縮率が高い原因は、ウールのズボンを家庭用洗濯機で洗濯した点にあるか、ズボンの計測方法に不適切な点があったと推測しています。

他方、間壁教授は、砺波鑑定書の中で織密度によるウエストサイズの推測の方法は妥当であるとし、鉄紺色ズボンのウエストサイズを72.34センチメートルから73.4センチメートルとした砺波鑑定の結果は信頼できるとしています。

その上で、間壁教授は、鉄紺色ズボンと茶格子縞ズボンの採寸結果報告書を参照し、鉄紺色ズボンのサイズがみそに漬かっていたため本来のサイズより収縮していたとしても、ウール地をみそに漬けた場合の収縮が最大1%程度であることからすると、鉄紺色ズボンと茶格子縞ズボンを同一人が同時期に着用していたものとは考えられないとしています。

なお、間壁教授が参照した採寸結果報告書は、弁護人作成のものであり、鉄紺色ズボンのウエストが71.5センチメートル、わたりが57センチメートルと報告されています。検察官の冒頭陳述において、この計測結果が信用できないとの指摘がありましたが、この報告書における採寸者は、西武百貨店静岡店注文服技術室室長という採寸の専門家ですから、その計測結果は信用できます。

 

② 澤渡第3鑑定から

静岡大学教育学部の澤渡千枝供述は、平成19年、弁護団の依頼により鉄紺色ズボンのサイズに関する鑑定を実施しました(なお、澤渡教授は本件に関して複数の鑑定を実施していますので、平成19年に実施した鑑定を「澤渡第3鑑定」と呼びます。)。

澤渡教授は、繊維の縦糸の本数と糸密度から鉄紺色ズボンのサイズを推定しました。その結果、みそ漬けにされる前の鉄紺色ズボンのわたりのサイズは56.4センチメートルから58.0センチメートル、大腿中央(これは、わたりから20センチメートル下の箇所のことです。)のサイズは43.7センチメートルから44.9センチメートルと推定しています。

澤渡教授は、控訴審における装着実験の際の袴田さんのヒップサイズが90.5センチメートルであったことから、袴田さんに適合するズボンのわたり幅を63.32センチメートルと推定し、鉄紺色ズボンが袴田さんの体型に適合していないとしています。

その上で、澤渡教授は、控訴審における装着実験で袴田さんが鉄紺色ズボンをはけなかった理由を、ウエストではなく、わたり及び大腿中央部分のもともとのサイズが、袴田さんが日常着用していたズボンのサイズないし袴田さんに適合するズボンのサイズよりも小さすぎるためであるとしています。

なお、検察官の冒頭陳述において澤渡第3鑑定の結果が信用できないとの指摘がありましたが、澤渡教授が用いた方法は、砺波教授が用いたのと同様の方法であり、砺波鑑定を批判する間壁鑑定でもその方法の妥当性が肯定されていますから、その結果は信用できます。
検察官は控訴審における警察庁技官近藤氏の証言を根拠に、同一衣類でも部位によって糸密度が異なり得るとしています。しかし、近藤証言では端布と鉄紺色ズボンの糸密度が異なる理由について、部位による変化ではなく、鉄紺色ズボンが水分の多いところに入っていたので多少収縮したことを非常に大きいとしています。澤渡第3鑑定は、みそ漬けにされていない端布の糸密度からみそ漬けにされる前の鉄紺色ズボンのサイズを推定しているのですから、近藤証言を根拠に澤渡第3鑑定を批判することは妥当ではありません。

 

このように、袴田さんが鉄紺色ズボンをはけなかったことが、鉄紺色ズボンのサイズが小さかったからであることを、間壁鑑定、澤渡第3鑑定、及び第二次再審請求審で実施した澤渡教授の証人尋問調書から立証します。